日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(22)武尊山~越後駒ヶ岳

  1. ホーム
  2. > jRO通信

武尊山

10月1日、まだ静かな鳩待峠を早朝に出発。221座目武尊山の登山口、水源の森へと車道を走りました。登山口に8時半に到着、武尊山は何度も登った慣れ親しんだ山ですが、水源の森から武尊山へと登るのは初めてです。水源の森というようにブナ林が広がっています。田代湿原を抜けて緩やかに標高を上げていくと、所々ぬかるみはあるものの、とてもいい雰囲気。中ノ岳へ近づくにつれて紅葉は深まり、滑落注意とある鎖場を登りきると武尊山山頂が目に飛び込んできました。武尊山はもともと火山からなる山、山頂を中心に大きな火口のようにも見えます。強い日差しと暑さを感じながら、様々な色に紅葉する稜線を歩き山頂へ。自分でも意外ですが、日本百名山ひと筆書きで登頂してから、一度も登っていませんでした。馴染みの頂きからの景色を眺めながら、過去の思い出が甦ります。山頂からみなかみ町藤原地区へと下山し、懐かしさが一層深まりました。

朝日岳

10月9日、土合登山口より白毛門、笠ヶ岳と縦走して222座目「朝日岳」へと登ります。出発直後、登山道脇に天然まいたけを見つけて大興奮。3年前越しの白毛門までの急登に、懐かしさを感じ、登りながら嬉しさを覚えました。白毛門を越えると、低い雲の切れ間から笠ヶ岳まで続く灌木帯の紅葉が目に入ってきました。笠ヶ岳を越えたらきっと晴れるはず、と思い歩き続けました。笠ヶ岳を越えても風は冷たく強いまま。谷川連峰でよく見るかまぼこ型の避難小屋で晴れるのを待ちました。風は依然強いままですが、10分ほどで雲が晴れ、予定通り12時前に朝日岳登頂。しかし、この日一番の強風に体温が奪われていくのを感じたため、山頂でゆっくりするのをあきらめて風下となる宝川温泉へ続く木段で腰を下ろし、コーヒーを飲みながらゆっくり過ごしました。30分ほどゆっくりしたあと清水峠へと標高を下げると、いつのまにか風は止み雲が晴れました。清水峠の先には、巻機山や越後の山々。振り返るとおだやかな朝日岳が見え、亡くなったカッパクラブの社長が好きだった理由がわかる気がしました。

巻機山

10月10日、朝から快晴。平日でも登山口駐車場にはかなりの数の車が停まっています。5合目と6合目の間には太さや間隔が均一の美しいブナ林、6合目に着くと迫力のヌクビ沢と圧倒する大きな天狗岩、7合目からは紅葉の灌木帯の中を登リ、8合目を過ぎると森林限界を抜けて視界が開けました。見上げる山頂はニセ巻機山です。9合目のニセ巻機山を登りきると、想像していなかった景色が迎えてくれました。何度も登った巻機山ですが、これまでで一番のコンディションと金色に染まる女性のような優しい山容に「わぁーお!」と感嘆の声が。そこからはペースを落としてゆっくりと進みながら、見逃しがないように歩きます。間もなくして山頂へ。牛ヶ岳への道のりも見事な景色、頂上からは越後三山が目前に見えました。再び巻機山へと戻り、朝日岳へ続く登山道のジャンクションでコーヒーを飲みながらランチタイム。麓からもよく見える円錐形の割引岳へも足を初めて延ばしてみました。山頂からは、笹原が広がる巻機山と牛ヶ岳が見えますが、印象ががらりと変わり若々しく隆々とした山に見えました。こんなにもいい日は、この2年登リ続けていてもそう多くはないでしょう。

谷川岳

10月16日、6日ぶりに晴天となった清水集落から出発。谷川連峰の山々は紅葉が進み穏やかな表情を見せていました。出発から2時間で清水峠に到着。七ツ小屋山へと登リ、そこから先は馬蹄形で一番歩くのが気持ちいい稜線です。4年前に建て替えられた蓬ヒュッテを通過し、武能岳へと登りました。武能岳から茂倉岳までは、風向きが変わったことで雲が湧き、あっという間に辺りは真っ白に。茂倉岳で休憩をしながら馬蹄形最後の谷川岳までの稜線が晴れてくるのを待ちました。待つこと1時間、徐々に新潟県側の雲が晴れ、振り返ると一面の雲海。谷川岳や一ノ倉岳も雲海から頭を出してくれました。雲海に突き出る谷川岳の耳を茂倉岳から初めて見て、「いやー格好いい」と言葉がこぼれました。しっかりと雲が晴れてから一ノ倉岳へと進み、1000メートルの大岩壁を見下ろせる「のぞき」から一ノ倉沢を眺めます。そこから谷川岳最高峰のオキの耳へと登リ、まずは片耳、少し下り登ってトマの耳へ、224座目谷川岳登頂しました。16時過ぎに肩の小屋に到着し、谷川連峰の主稜線に沈む夕陽を眺めて馬蹄形縦走を無事に終えました。

仙ノ倉山

10月17日、朝焼けに染まる谷川連峰主稜線、ここを肩の小屋から歩くのは5年ぶり。初めて踏み入れたのはみなかみ町に住むようになって1年目、その時は引き返してしまいましたが、その後体力や経験を付けて一人で縦走できるようになり、馬蹄形を縦走するよりも多く主稜線を歩いた記憶があります。谷川岳から万太郎山までの前半は、100~200メートルの細かいアップダウンが続き、万太郎山から仙ノ倉山はドカンと400メートルほど下り、仙ノ倉山へと400メートルほど登ります。どちらも体力勝負。オジカ沢の頭~小障子~大障子~万太郎山へと順調に縦走し、万太郎山からの下りで仙ノ倉山は雲に包まれてしまいましたが、エビス大黒の頭への急登を頑張ったためか、仙ノ倉山へと登る途中から雲が晴れて大きな顔を出してくれました。そして、11時前に無事登頂。山頂で谷川連峰主稜線が全て見えるまで待ってみましたが、結局雲は増える一方。あきらめて、平標山へと続く大好きな稜線を歩き、生まれた年の数字と同じ1983メートルの平標山へと登頂して、主稜線の縦走、そして、群馬県の山も最後となりました。

佐武流山

10月20日、いつ来ても佐武流山は雲の中の印象的があり、今回もどうやらそうなりそうな気配です。赤倉山から切明温泉側からの登山道合流点まで、4年前は深い笹に行く手を遮られて時間が予定よりもかかりました。今回は前半から飛ばしていくと、驚くことにキレイに笹は刈り払いされていて、感謝しきりです。予想外の展開に4年前とは比べ物にならないほどスムーズに佐武流山に登頂させてもらうことができました。山頂からの景色は4年前と全く同じ。ここは予想外の展開とはいきませんでした。下山は、切明温泉側へ。山口館を出発してから切明温泉に到着するまで、他の登山者と会うことはありませんでした。晩秋だからこそ日帰りではなかなか難しい山は、より登山者の数は少なくなるのでしょう。晴れる予報でしたが、そうならないのが晩秋なのだ。

鳥甲山、苗場山

10月21日、低気圧の影響により、1日のコースタイムを考えると今日中に苗場山から湯沢側へと下山するのは難しいと判断。翌日風雨の中の下山を覚悟して、鳥甲山へ向けて切明温泉を出発。眼下の秋山郷から見上げると、紅葉の屏風のように見える鳥甲山ですが、切り立つ稜線上のわずかな幅をなぞるように登るため、山頂以外はほとんど気を抜けません。3時間ほどで登頂。これから向かう苗場山を見ると予報以上に雲が。もう一度天気予報を確認すると、今日の予報も明日の予報も変わっていました。こりゃ~まずい!今日中に苗場山から下山するしかありません。実は先にひかえている荒沢岳の登山道の鎖や梯子が26日の朝から取り外されてしまうため、スケジュールに猶予がありません。改めてコースタイムを計算すると、切明温泉から鳥甲山~赤沢~苗場山~三ツ俣までは21時間ほど。2000メートルを超える山を2座、標高差は2座とも1300メートル以上。鳥甲山を猛スピードで下山しました。屋敷登山口から小赤沢へ走り、苗場山へも走り登りました。栄村側から登るのは初めて、標高が上がるにつれて登山道は壁のようになっていきます。自分自身を鼓舞して、4年前の旅を思い出すようなハイペースで駆け続けました。苗場山の山頂には全国的にも珍しく貴重な高層湿原があり、遠くから見るとテーブルマウンテンのよう。山頂を経由して、慣れ親しんだ祓川コースへと下山しました。時刻は午後3時20分。ここまでかなりの体力を消耗していますが、気持ち的には想像以上に頑張れたことに、少しだけ自信が戻っていました。午後4時40分、無事に祓川登山口へと下山。最後はヘッドランプを手に、ヘロヘロになりながらもギリギリ午後6時に民宿へ到着しました。

八海山

10月23日、紅葉が見頃の八海山へと向かいます。今回は普寛行者が開山したという、最も険しい屏風道から登ります。八海山の神様へ挨拶をして、二合目へ向かう途中見上げると、まさに紅葉で燃える岩壁。久しぶりの感覚、山を見上げるだけで気圧される感じがあります。四合目まで鎖場はなく、緩やかに標高を上げながらそびえる岩壁へと距離を縮めていきます。緊張感を高めたのは五合目から。ヘルメットを装着し、長い鎖にしがみつきながら上へとよじ登ります。気を許せない場面が続く中、七合目辺りで雲が晴れ、紅く染まる八海山の懐にいることに気がつきました。ようやく一息つける九合目に到着。この後続く八ツ峰は、名の通りに地蔵岳~不動岳~七曜岳~白河岳~釈迦岳~摩利支岳~剣ヶ峰~大日岳と続く、八海山最大の難所。一つまた一つと細かい鎖場のアップダウンを繰り返し、最後の大日岳を登って達成感を味わいました。そこから、7メートルほどの鎖場を2つ下りて、ようやく八ツ峰が無事に終了。そこから20分ほどで最高峰入道岳となり、振り返ると紅葉で染まる八ツ峰が見え、4年前よりも達成感は3倍以上であることを実感しました。

中ノ岳、荒沢岳

10月24日、夜中3時過ぎ起床。いつも通りの朝の支度をして、4時過ぎ、ヘッドライトを灯して中ノ岳登山口の十字峡へと走りました。コースタイムは24時間以上。1日で歩き切らなくてはいけない理由があります。一つに台風の接近による明日以降の天候悪化、もう一つは荒沢岳から銀山平への登山道に設置されている鎖や梯子が26日早朝に取り外されてしまうため。約11キロを走り続け、予定通り6時に十字峡登山口に到着。十字峡登山口からまずは中ノ岳へと標高差約1600メートルを一気に登ります。五合目を過ぎるとどっしりとした中ノ岳が見え、七合目に向けて、アップダウンを繰り返しながら、標高を徐々に上げていきます。小さな池塘を囲むような灌木の紅葉が見事でした。八合目から主稜線との合流点まではこのルート一番の急坂。九合目にバックパックを置いて、山頂へと駆け登り、中ノ岳へ登頂。ゆっくりしている時間はなく、直ぐに九合目へと戻りました。兎岳までの縦走路からは、万年雪の残る深い谷が見え、谷も紅葉で紅く染まっていました。灰ノ又山を越えると、雲が晴れ太陽が差し込み、眼下の谷から燃えるような赤一色の荒沢岳が見えました。初めて見る景色に見とれてしまいます。その時間も長くは続かず、また雲に包まれて、4年ぶりの荒沢岳へと登りました。山頂で1時間ほど晴れてくれるのを粘りましたが、下山開始のリミットとなり、銀山平へと下山。下山のルートもちょうど見頃の紅葉で包まれ、眼下の奥只見湖に浮かぶ遊覧船も見えました。前グラからの鎖場を抜け、16時過ぎに無事下山しました。

越後駒ヶ岳

10月28日、道行山経由で、5年ぶり紅葉の越後駒ヶ岳へと登ります。今年の紅葉はそれほど良くないと聞きますが、それでも「綺麗だなぁー」と口からこぼれる場面はこれまでたくさんありました。一番良く使われる枝折峠からの登山道と合流すると、平日ですがたくさんの登山者と行き交わしました。なだらかな登りが続き、越後駒ヶ岳が少しずつ近づいてきます。百草ノ池を過ぎると、急坂になり標高をぐんぐん上げていきます。すでに冬支度を終えた駒の小屋まで来れば、山頂はもうすぐそこ。山頂へと一気に駆け上がると、先日登った中ノ岳からの主稜線に合流しました。振り返ると、荒沢岳が見えて、縦走路を右にたどると中ノ岳、八海山と見えました。越後駒ヶ岳を含め、地元では越後三山と呼ばれていますが、僕のなかでは荒沢岳を含め、越後四山もしくは越後四天王という感じ。30分ほどの休憩後、登ってきた道を引き返しました。小倉山から、駒の湯登山口へと下山しました。

<過去の記事>

  • ジローへの入会お申込みはこちら
  • jRO会員ログイン
  • 好きな山の絵を額縁つきですぐに買える!山の絵つなぐサイト by jRO
  • 会員特典