日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(3)阿蘇山~英彦山

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阿蘇山

3月1日、昨日3年半ぶりに阿蘇山火口見学への入山規制が解除となり、それに合わせて阿蘇山高岳への登山の規制も解除となる予定でした。実際には火口付近の霧が晴れないため入山規制が解除されず、今日が事実上の入山解除となるかもしれないのです。天気予報では午後から晴れるということで、それを信じて阿蘇山西駅へ向けて登り始めました。出発から2時間ほどでゲートのある西駅へ到着しましたが、辺りは真っ白、太陽の光は遠く、ゲートは閉ざされたままでした。約6時間待機をしましたが、今日の規制解除はないと分かり南阿蘇村の宿泊先へと下山しました。
3月2日、空はすっきり晴れ渡り、1日待ってよかったと思いました。天気は回復しましたが、火口の活動状況によっては晴れていてもゲートが開かないことがあるため昨日と同じ場所からの入山は避けました。阿蘇山の南側には行儀松ルートと倶利伽羅ルートがあり、そちらから登れば入山規制の火口から1キロの範囲外となり山頂まで行くことができます。地震による崩落が激しいと聞いていましたが倶利伽羅ルートを選びました。美しいススキなどの牧草地が山の中腹まで広がるはずの景色のなかに、黒土が露になった斜面がいくつも目に入ってきます。悲しさも感じましたが、これが地震の力であり、これが今の阿蘇山だとしっかりと目に焼き付けました。砂千里を目前にすると人の声が聞こえ、どうやら今日は規制が解除されてゲートが開いたようだとわかりました。自分が向かうべき方向へ視線を向けると中岳へ続く稜線を歩く登山者が見えました。登山道の踏みあとが不明瞭なところがあることに気付き、入山規制解除までの2年の月日を感じました。阿蘇山最高峰の高岳からの景色もすばらしいですが、僕が一番好きだな~と感じたのは、中岳へと続く稜線の途中から見た西の景色です。煙を吐く火口、真っ黒い砂千里、金色の草原草千里、烏帽子岳や杵島岳、カルデラの先には雲に浮く普賢岳が見え、振り返ると中岳高岳が見えます。阿蘇山を代表する景色がパノラマで広がっているのです。阿蘇山は今、再び火山活動が活発化し入山規制となっています。規制解除後にたった1日だけゲートが開いたことになり、こんなに阿蘇山をじっくりと見ることができたのはすごい偶然でした。改めて生きる火山と付き合っていくのはとても難しいことだと感じました。

島原湾横断

3月4日、今日は大潮のため、日本一と言われる有明海の干満差が横断中に影響する可能性がありますが、タイミングよく潮止まりの時間に出発することができました。波は穏やかで風は心地よい向かい風が吹き、天気は晴れ、気温は20度を超え最高のコンディションです。午前11時前に熊本側の砂浜から出発。目指す対岸には前回よりもキレイな雲仙岳が空高くそびえていました。1時間おきに短めの補給をして、潮の動きに注意した。干満差が日本一の有明海の出口となる島原湾は、大潮のとき特に潮が速くなるため常に潮の動きには気を配りました。終盤GPSを確認せずに進んでいたら、1キロほど余分に南へずれてしまいましたが、最後まで潮が速まることなく、3時間を切るタイムで無事に長崎県に上陸することができました。

普賢岳

今から28年前、約200年ぶりに雲仙岳が噴火、約6年もの間噴火を繰り返したそうです。そして、その火山活動でできた大きな溶岩ドームが平成新山となりました。地元のおばちゃんに当時のことを聞くと、今からは想像できないほどの惨状だったそう。早期に避難をしていたので家族は無事だったそうですが、家は噴火の影響をまともに受けたといいます。長期間の避難のち再びこの地に戻り、今は毎朝雲仙岳に「今日もありがとうございます」と手を合わせているそうです…この最後の言葉が心に残りました。
3月7日、今回で2回目となる雲仙岳の普賢岳の登山です。コースは最短ルートでの登頂を考えていましたが、直前で変更して、雲仙岳三峰を登り、さらに有明海も見たくなったので風穴コースも経由する“雲仙岳フルコース”(勝手に命名)を堪能することにしました。噴火に耐えた妙見神社、普賢岳と平成新山が間近に見え多良岳と有明海が一望できる国見岳、風穴を利用した蚕の保存や噴火によってできた特長的な地形が広がる風穴コース、そして普賢菩薩様が守る普賢岳と、時間の許す範囲で存分に味わいました。

多良岳

3月10日、日本三百名山としては7座目、全体としては節目の20座目となる多良岳、登るのは初めての経験です。佐賀県の山にはこれまで登ったことがなく、佐賀県は父の故郷で自分のルーツの場合でもあるために楽しみにしていた山の一つです。だからこそ長崎県に入ってから、どのように登るかを考え続けていました。約1200年前に弘法大師が訪れた際に建立された金泉寺の境内に雰囲気のいい山小屋がある、という地元の方からの情報をヒントに、初めて1000メートルに満たない山で、一泊二日をすることを決めました。この日は行動食のアーモンドチョコレートが溶けてしまうほどの暖かさで、あせびっしょり。海抜0メートルから1000メートルを超える山頂まで延々と舗装路を歩き、霜柱が溶けて滑りやすい登山道へと入りました。14時過ぎに山小屋に到着し、小屋で少し休憩しました。室内は電気がないため昼間でも薄暗いですが、土間がある一階にはストーブがあり、薪が燃えて暖かな空間を作り出していました。素泊まりでなんと1000円!山小屋では安いでしょう♪15時過ぎに荷物を身軽にして、金泉寺で手を合わせ、鐘を一撞きしてから、多良岳へ向けて出発しました。参道に入ると一から十までの菩薩像が一見不規則にポツポツと点在していたり、他にも大きな岩の上に羅漢像があったり、見上げる岩壁には誰が掘ったのかわからない梵字が刻まれていたりと、長い歴史が今も息づいていることを感じながら登りました。山頂に到着すると、太良岳神社の社あり、回りを見渡すと葉のない木に黄色いマンサクの花が春の訪れを告げていました。そして、多良岳の名所の一つ「座禅岩」へ。見事な景色と静けさで、聞こえてくるのは微かな谷からの声だけ。時間を忘れて心を落ち着かせたくなる場所でした。下山は六地蔵内、一体が恥ずかしがり屋のお地蔵さんがいるというルートへ。ちゃんと探して全部に手を合わせて、日暮れ前に小屋へ戻りました。1日で多良岳を登り下りてしまっていたら、こんなに多良岳を満喫できなかったと思います。


糸島の海

3月15日、最初の日本百名山の旅の時から九州の海峡横断でサポートをしてくれている松本さんと一緒に糸島の海でカヤックを漕ぐことになりました。最高のコンディションとはいかなかったけれど、予報よりはおだかな1日となりそうです。唐津でスタンドアップパドルのツアーガイドをしている友人を誘って、集合場所の10時に弊の松原(にぎのまつばら)の海岸に集合しました。話をしながらも早速海に出る準備をして、11時前に出発。目的地は松本さんがおすすめするポイントで、日本三大玄武洞のひとつ「芥屋の大門(けやのおおと)」です。出発から30分ほどで岬の先端が見事な柱状節理になっている芥屋の大門がはっきりと見えてきました。正面に回り込むと正面は映画の世界のように暗く大きな口を開けた玄武洞が現れ、こんなに大きな柱状節理を海から見たことはなかったので興奮が収まりませんでした。入口に近づきながら見上げると、六角形や八角形の柱状節理が今にも落ちてきそう。圧迫感と同時に迫力がありました。恐る恐る、暗く細く続く中へと入り、中から外を見ると光の柱が伸びていました。とても幻想的な時間でした。

脊振山系大縦走

脊振山は東西に連なる脊振山系の最高峰で、役行者も歩いた修験の山。いくつもの峰々を繋いでいくことで、初めて脊振山の良さに気づくことができると思っていました。糸島の海でシーカヤックを漕ぐためにルート変更をしたので、縦走のスタートを金山から雷山へ変更し、雷山から金山までの稜線が特に気持ちがいいと教えてもらったので距離は延びるけれど歩いてみたいと思いました。3月17日、雷山の登山口には本尊を千手観音とする千如寺があり、手を合わせてから入山。雷山の山頂までは樹林の中を抜けての急登が続きますが、山頂からの展望は絶景で登頂の瞬間に興奮してしまいました。南側は登ってきた山々に佐賀平野から有明海までが見渡せ、北側は玄海灘が広がります。東側はこれから目指す脊振山系の縦走路が続いていました。前半の三瀬峠(みつせとうげ)までは、遅れを取り戻すべく久しぶりにコースタイムの半分でぶっ飛ばしました。たくさんの登山者で賑わっていた井原山も、ゆっくりすることもなく記念写真だけ撮って先を急ぐことになってしまいました。後半は金山までの登り返しや細かいアップダウンで体力を削られてしまい、脊振山に着くときにはちょっとバテてしまっていました。脊振山山頂は自衛隊のレーダー基地があり、遠くからでもその存在が分かりやすく、今は脊振山のシンボルと言えるかもしれません。しかし、山頂には役行者の石像があったり、脊振神社の上宮があったりと霊山を感じるものも残っています。山頂に電波塔や送電線の鉄塔などをところ構わずたててしまう現代を、修験道が盛んだった頃の方々が見たらなんというだろう。脊振山を味わうためには脊振山系を縦走するのがいいというのも、山頂が人工的なモノに包まれてしまっているからなのかもしれません。
翌朝、暗いうちから出発の準備をしましたが、朝食後にちょっと腹休めと思いゴロリとしたら・・・鳥の鳴き声に気づきパッと起きると!7時の出発時間を過ぎてしまっていました。慌てて準備をして出発をしたのは8時過ぎとなってしまいました。脊振山系縦走を再開するために、九千部山(くせんぶやま)まで登りましたが、昨日の1日50キロの移動に体はバキバキ、疲れが抜けきっていない感じでした。予定では基山(きざん)から二日市に下山して、福岡県の名山宝満山(ほうまんざん)に登ろうと考えていましたが…宝満山へ登ることは早々にあきらめました。そして長い脊振山系の〆は基山の草スキーとすることにしました。1台300円でレンタルできる木製ソリを借りて、たくさんの子供たちに混ざって繰り返し滑っては草の斜面を登りました。2時間ほど遊び、基山の山頂に登頂してから、古い歴史のある二日市温泉で脊振山系縦走の疲れを癒しました。

県民の山宝満山

旅が始まってから福岡県の方に会うたびに「宝満山(ほうまんざん)に登って欲しいな~」と刷り込まれるように聞いていました。今回初めて、出会うみなさんにおすすめされて山に登ることになりました。3月22日、観光客で賑わう太宰府天満宮に立ち寄り観光気分を味わってから、宝満山へ続く参道を登りました。寒の戻りで九州でも山間部は雪が降るとの予報があり、標高が上がるにつれて寒さを感じましたが、山頂まで続く石段の連続に汗はとめどなく頭から流れ落ちました。宝満山も古くからの霊山のためか、参道を登り山頂を目指すだけで修験道を体験しているようです。滴り落ちる汗とともに、一段、また一段と登ると頭は空っぽになり無心で登っていく感じでした。余計なことを考えずに一段一段に集中する。これは、古来より守り次がれている石段だからこそ感じることができる気がします。すれ違う登山者は登山者っぽくなく、日課の散歩のような出で立ちです。少し話を聞くと、週に何度も登っているそう。中には数千回登っている強者もいると聞きました。なんだか金剛山のよう。また、たくさんの人が登る山にも関わらずゴミがほとんど落ちていません。たいていは登山者が多い山はゴミも多いのですが、宝満山は違っていました。本当にこの山を長い間大切にしていることが実感できて嬉しくなりました。誰もいない山頂からはうっすらと福岡市や脊振山系の山々が見えました。山頂の気温は4度と低く、休憩していると空からチラチラと雪が舞ってきました。上宮でお礼を伝え、朝倉市へと続く下山道を駆け下りました。宝満山をすすめてくれた方々に心から感謝をしています。


英彦山

3月24日、いよいよ今日で九州の三百名山をすべて登ることになります。朝8時に宿を出発し表参道の入り口となる銅鳥居へ向かいました。英彦山神宮の奉幣殿にて、ここまでたどり着けたこと、2年ぶりに登れることへの感謝を伝えました。宮司さんとお話しさせていただき、英彦山神宮では今でも春になると英彦山より馬見山、古処山を縦走して、宝満山まで歩く「春峰」という行事が続いていると教えてもらいしました。僕はまさに、ほとんど同じ道のりを歩いてきたことになります。宝満山から古処山、馬見山、そして英彦山が一つの線で結ばれ、改めて宝満山に登って良かったと強く思いました。英彦山神宮の上宮までは石段と登山道を繰返し登り結界門をくぐり、少し雪が残る上宮に2年ぶりに立ちました。その後最高峰の南岳にも足を伸ばしました。北岳を経由して高住神社へ下山し、目的の九州全22座は全て登り終えたことになりましたが、この日の登山はさらに続きました。英彦山系の東に犬ヶ岳という山があり、山の名前だけで行きたいと思い、激しいアップダウンを乗り越えて犬ヶ岳に無事登頂することができました。夕暮れどきに豊前市側に無事下山し、正式に九州全22座を完登することができました。宿までの下り坂を歩きながら一人万歳三唱をしたのでした。

九州から本州へ

3月27日、今年で還暦を迎えた関門トンネルへと向かいます。人生で3度目となる関門トンネルは旅で唯一の海底トンネル。海はシーカヤックで渡っているが、ここはその必要がありません。トンネル内は春休みの影響かたくさんの人で賑わっています。山口県側から来る人、福岡県側から来る人、日課の散歩で何度も780メートルのトンネルを往復する人、バイクや自転車を押しながら家路へと向かう人。その流れの合間を縫って、僕は写真を撮りながらトンネルの中間へと進みました。あっという間に九州と本州の境となる福岡県と山口県の県境に。一歩跨げば本州最初の山口県です。国道で歩行者専用の海底トンネルは日本でここだけであり、さらに60年前世界初の海底トンネルです。3度目とはいえ気持ちが高ぶります。県境で納得の記念写真が撮れるまで何度も繰り返しました。特にこの日は観光客も多かったので、県境で写真を撮るための順番待ちができるほどでした。動画と静止画を撮影するため他の人が撮り終わるのを待っていたら、写真撮影をする人たちのカメラマンになっていました。トンネルを行き交う人が落ち着いてきたタイミングで、ようやく自分の納得の行く撮影ができました。それからトンネル後半を歩き、エレベーターで山口県の地上へと躍り出ました。時計を見てビックリ!トンネルに入ってから出てくるまでになんと1時間以上もかかりました。それだけ時間をかけたので、これまでで一番いい写真を県境で撮影することができました♪

 

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