日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(14)赤城山~天城山
赤城山
2月3日、今年は例年よりも雪が少なく、スノーシューでもズボズボと埋まってしまいます。装備を含めた総体重が100キロを超えているため、足をとられるたび体力は消耗していきます。先行する登山者の踏み跡を助けに登っていきますが、人が作ったルートを使って登ることを「トレース泥棒」と言うことがあるため、出来るだけ使わずに登ろうとスタートから葛藤が続きました。頑固な自分も自然には敵わず、素直に先行する他の登山者の踏み跡を借りて登りました。標高が1600メートルを超えると踏み跡から外れて好きに木々の間を抜けて歩けるようになりました。山頂手前で大沼からの登山道に合流すると、暖かくコンディションのよい週末のため、たくさんの登山者により登山道は夏道のようにしっかりとした道が出来ていました。山頂はさっきまですごい数の人がいたことを感じる無数の足跡があり、明らかに冬山ならではの光景。山頂から少し先へ進むとさらに展望が広がり、群馬県境の名峰が勢揃いしています。冬の山々は美しく、舞妓さんのような純白に姿を変えていました。やっぱり冬は好きです。
榛名山
2月5日、どこまでも続くような赤城山の裾野を利根川までかけ降ります。少しずつ赤城山は遠退き、榛名山が近づいてきます。平地はわずか、間髪いれず利根川を境に榛名山への登山となります。この日は伊香保温泉まで、標高は750メートルほど登ります。
2月6日、榛名山へ向けて登山2日目の朝です。伊香保神社から国内最高地点にある「伊香保リンク」へ続く階段を登ります。スケート場をちょっとだけ覗くはずが、気づけば2時間も遊んでしまいました。再び登り始め、結局この日は二ッ岳にだけ登り榛名湖畔の宿へと入りました。
2月7日、榛名山登山最終日は夜明け前からスタート。4年前は霧に阻まれてしまった御来光を見るため、今回はしっかりと天候をチェックしてから山頂にアタックしました。午前6時半、予報通り素晴らしい日の出をみることができました。その後は外輪山の相馬山へ。山頂には榛名神社の末社となる黒髪山神社があります。鎖場があり、修験の山だという雰囲気がいたるところにあります。湖畔まで下山し、最高峰の掃部ヶ岳へと登り返しました。榛名山は無数の山から形成されているために、榛名山という特定の山頂はありません。そのため最高峰の掃部ヶ岳を登って榛名山に登ったとする場合がありますが、僕は外輪山の中に堂々とそびえる榛名富士がこの山を代表する山だと考えています。標高こそは三番目の高さですが、その存在感は一番ではないでしょうか。
浅間隠山
2月8日、浅間隠山への登山情報を確認するために東吾妻町役場へ問い合わせると、東吾妻側からの登山道は4月まで閉山中という内容でした。ただし、高崎市の二度上峠側からの登山道は通年登山が可能という確認が取れました。浅間隠温泉郷の反対側へ回り込んでからの登山となると、登山口まででも1日かかる距離です。どうにか山を越える方法がないか探してみると、昔の栗平峠を越える道があることが分かり、役場に問い合わせると、入山禁止にはなっていないということで大幅な短縮が可能となりました。谷底に積もった雪に足をとられながら栗平峠を越え、北軽井沢へと一度下山し、車道で二度上峠を越えて、午後2時にようやく登山口に到着しました。東吾妻側から登り、隠されていた浅間山がどーんと姿を表す光景に出会いたかったですが、想定外の展開でも十分に楽しむことができました。横から浅間山と浅間隠山が並んでいる姿を見ると大きさの違いに驚き、と同時に山は見る場所が違えば麓に住む人々が持つ印象も変わるのだと思いました。本当に山は不思議です。南からみる浅間隠山は富士山のように凛々しくそびえて見えました。
両神山
2月12日、5年ぶりの両神山へ出発。登山口で山荘のご主人から両神山について解説いただきました。両神山は大昔からの修験の山、女人禁制の山だったそうです。山頂部の本社、山頂への登拝は限られた人しか許されず、昭和20年代までは登山口の両神神社の里宮にて参拝し、寝食を共にしてから案内人の先導でそうして登っていたといいます。今ではほとんど登山者は里宮の存在も知らず素通りしてしまうそうです。また、秩父山域の神社のほとんどが、神の使いとして社殿の前には狛犬ではなく狼が座っているそうです。日本武尊がこの地を訪れ道に迷った時、白狼が現れて導いたことからだといいます。登山口からは童子の名前が彫られた石碑が続きました。清滝小屋手前で一度谷に下りて、白藤の滝を見に行きました。予想通り見事に氷瀑となっています。雪は少ないものの、冬の両神山を垣間見ることができました。清滝小屋を抜けると、谷から一気に尾根へとかけ上がります。尾根から両神神社本社までは岩場と鎖場が続き、かつての修験者も一番緊張したことでしょう。そこを抜ければ2匹の狼に迎えられて、神社に到着です。山頂の剣ヶ峰はさらにその先となり、緩やかな尾根道を抜けて登頂。山頂は他の登山者の姿はなくこれまでで一番の展望です。風もなく暖かさも感じることができました。
武甲山
2月15日。武甲山は山の半分が石灰岩でできていて、北側は企業が採掘をするため、姿が変わり続けています。昨日掘削される前の武甲山の写真を見て、山頂が当時より32メートルも低いことを知りました。早朝からゴォーンゴォーンと音を立てて動く採石工場を抜けて、表参道入り口へ向かいます。工場の音が武甲山の悲鳴のようにも聞こえました。登山口となる一の鳥居は、町からは武甲山のちょうど真裏にあり、不思議なことにさっきまでの騒々しさは無くなりました。騒音を遮っているのが武甲山自身と思うと、素直に喜べない感じがありました。山頂の神社までは52丁、約109メートルおきに丁石が並び長い歴史を感じます。途中には少なくとも樹齢500年以上の大杉があり、長い間たくさんの参拝者を見守ってきたのだと思います。山頂手前には一部、石灰岩の岩頭が露になっていて、やっぱり石灰岩の山だと感じることができました。山頂の神社で参拝をしたのちに、現在の山頂へ立ちました。掘削される前の武甲山を知ったことで、現在の山頂からさらに30メートル以上も上に本来の山頂があったことを、今は無い空に思い描きました。
大岳山、三頭山
2月17日、久しぶりの御岳山へ続く参道を登ります。武蔵御嶽神社へ参拝後、ハセツネ(日本山岳耐久レース)のコースに合流し、逆走するように大岳山へと登りました。今回はハセツネコースの約3分の1を逆走して三頭山まで縦走します。ハセツネでは大岳山を越えるとゴールまでは16キロほど、大きな登りはなくなり気分的にもずいぶん楽になるポイントでもあります。2百名山の時は大岳山山頂から富士山を望むことができませんでしたが、今回は見ることができました。手前には奥多摩三山の御前山や三頭山もはっきりと見えました。御前山までは週末のためか登山者の姿もちらほらありましたが、三頭山へ続く登山道では誰とも会いませんでした。日暮れが迫る中、懐かしい三頭山に到着。10年ほどの月日が経っていると、自分の記憶も曖昧だということがよく分かりました。もっと展望があったように記憶していましたが、冬でもわずかです。当時の思い出を懐かしく思いながら、小菅村へとかけ下りました。
金時山
2月20日、沸き上がる雲に隠れる金時山を目指し歩きます。御殿場市内から乙女峠へと登り、箱根外輪山の峰を辿ると、金時山はすでに雲から顔を出していました。実は金時山に登るのは、約6年ぶり。当時は週末だったこともありすごい人で賑わっていた記憶があります。箱根外輪山の中で一番高く、ひときわ特徴的な形をした金時山は、昔は猪鼻嶽と呼ばれていたようで、いつからか金時山と呼ばれるようになったそうです。金時は源頼光に仕え、名を坂田公時と改めたことから来ているのでしょう。久しぶりの山頂は4月中旬並の気温で暖かく、昼時でも2組しかいませんでした。山頂には5匹の猫がいて、久しぶりの暖かな日差しに仲良く並んで気持ち良さそうに寝ていました。その姿に、こちらも富士山が見えるのを期待して、山頂で待つことにしました。箱根山、伊豆半島や駿河湾、愛鷹山はきれいに見えますが、2時間待ってもなかなか富士山は顔を出してくれません。またチャンスはあると気持ちを切り替え下山しました。冬とは思えないほどの暖かな陽気に、山頂で久しぶりにのんびりできたのは本当にいい時間となりました。
箱根山
2月21日、二日続けての金時山に向けて5時40分に登山口を出発し、40分後には金時山山頂に到着。今日も富士山は全く見えず、それどころか日ノ出の時間を過ぎても薄暗く、箱根山や眼下の町も見えません。2日目も山頂で富士山が見えるのを待つ決心をしていましたが、2時間待っても富士山は見えませんでした。しかし雨は上がり、次に目指す箱根山はすでに見えていました。箱根山は現在も火山活動が激しいため、全ての登山道は閉鎖され、大涌谷までの車道のみが9時から17時まで通行可能となっています。桜島の御岳と同じく、車道で登り大涌谷を現時点での最高地点とするしかありません。今後、運よく規制レベルが下がり登山が可能となれば、富士山を登ったあとに登りに来ることになるかもしれません。
天城山
2月24日、天城山へ登るのは5年ぶりです。百名山の時はあまりの疲労で、身体は思い通りに動かず、自分の身体とは思えないほどでした。歩くのが精一杯で、最高峰の万三郎岳まではコースタイム以上かかり、万二郎岳へ縦走できずに下山ました。今回は山を味わうことができそうです。今回のコースは、前回の逆コース、天城山縦走コースをいきます。ゴルフ場脇の登山口から前回は断念した万二郎岳へと登ります。週末のため他の登山者もちらほら。万二郎岳に登頂したときには、朝見えていた富士山はすでに見えなくなっていました。万三郎岳はやはり最高峰だけあり、山頂は賑わっていました。空模様は徐々に下降を始めています。日差しはなくなり、気温がグッと下がり始めましたが、動き続けていればちょうどいい感じです。万三郎岳から緩やかな尾根道へと下りると、きれいなブナの原生林が続いていました。天城山は展望がある場所が少ないので、山を包み込む木々や植物たちの変化や表情をゆっくり味わうことが出来ます。午後3時過ぎ、石造りの見事な旧天城トンネル前へ下山しました。
<過去の記事>
- 田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse~」⑬
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- 田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse~」⑩
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