日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(7)護摩壇山~竜門岳

  1. ホーム
  2. > jRO通信

護摩壇山と伯母子岳

7月9日、43座目の護摩壇山(ごまだんざん)と44座目の伯母子岳(おばこだけ)に1日で登ります。護摩壇山は初めての山、龍神街道(スカイライン)沿いの道の駅から登ることができ、登山道はわずか500メートルほどで、駐車場からはあっという間です。宿泊先の民宿から県道と林道を経由して、伯母子岳へと続く稜線が走る林道まで上がりました。標高はすでに1200メートルを超え、林道からは大展望が迎えてくれます。谷を挟んだ正面には和歌山県最高峰の龍神岳と、控え目な感じの護摩壇山が見えます。山頂からはわずかだが、紀伊水道や和歌山市を見ることができました。護摩壇山から伯母子岳へは稜線の林道を歩き、立派なブナが魅力の遊歩道を抜けいくと、二百名山の時以来の伯母子岳山頂となりました。前回は麓は紅葉、山頂は晩秋の小雨の中での登頂でしたが、今回は紀伊半島の山をぐるりと見渡すことができました。久しぶりに街が見えない山深さを感じることができました。伯母子峠から再び小辺路に合流して、宿へとかけ降りました。

大峯奥駈道1日目

7月13日、いよいよ紀伊半島の南北に連なる大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)縦走がスタート。総距離は約100キロ、途中で大台ヶ原へも立ち寄るため縦走距離は約160キロです。1日目は熊野本宮大社から玉置神社(たまきじんじゃ)を経て、香精山(こうしょうさん)手前のテン場まで。通過する山々の標高は低いものの、激しいアップダウンが続きそうです。大峯奥駈道に来るまで、金剛山地(葛城修験 かつらぎしゅげん)、熊野古道(小辺地 こへち)と修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)さんの足跡を辿ってきました。その最終地が修験道最高の地…大峯奥駈道です。縦走中に釈迦ヶ岳、八経ヶ岳、山上ヶ岳と目的の山はあるものの、それよりも大峯奥駈道を吉野山まで歩き通してみたいという気持ちのほうが強くあります。初日から大峯奥駈道の険しさを感じることになりました。真夏の暑さも影響し、吹き出る汗が止まりません。背負う荷物も4リットルの水と食料で、かなりの重量感です。コースタイムは12時間、距離は26キロ、涼しい時期なら7時間から8時間で歩くものの、暑さで奪われる体力を回復するために休憩時間が増えて、結局10時間もかかってしまいました。山の中に立派な社が建つ玉置神社を出発し、夕陽が差し込む杉林でこの旅初めて山中にテントを立てて1日目が暮れました。

大峯奥駈道2日目

7月14日、大峯奥駈道2日目。今日は初日の半分ほどの距離ですが、コースタイムは9時間と長い行程です。道の険しさが増し、激登り激下りが続くことが予想できました。また、水の確保が限られるため、ペース配分と水分補給に注意が必要となります。歩き始めてすぐに地図で見る以上に斜面は急で、笠捨山(かさすてやま)にたどり着いたときには日も高くなり気温は初日よりも暑くなっていました。そして大峯奥駈道最初の山小屋「行仙宿(ぎょうせんしゅく)山小屋」に到着。そこで2リットルのペットボトル4本を手に、標高差130メートルの水場へと下りました。岩からチョロチョロと染み出た水を補給し、後半戦へと歩き出しました。午後はそれまでの険しさが幻かのように、ブナやミズナラの巨木たちが広がる気持ちのいい森が広がりました。2日目の宿泊地、持経の宿(じきょうのしゅく)にたどり着くまで続いています。今から34年前に荒れて道もなかった大峯奥駈道の南部「南奥駈道」45キロを整備したことを知りました。その時に基地としていたのが持経の宿だったそう。そのため行仙宿山小屋ほどの大きさは無いものの充実した山小屋であり、3年前に改築されたばかりのためかなりきれいでした。2日目は山小屋で疲れを癒しました。

大峯奥駈道3日目

7月15日、大峯奥駈道3日目。3日目も暑さのため大量の汗をかき、大量の水分補給が必要となりました。大峯奥駈道は水場が少なく、夏場には枯れてしまうこともあるそうです。そのためどんなに時間がかかっても補給できる場所で補給するしかありません。釈迦ヶ岳の直前にある「深仙の宿」の水場で、20分以上時間をかけて約2リットルを補給しました。3年ぶりの釈迦ヶ岳の山頂に到着して、大峯奥駈道の中間地点まで無事にたどり着いたことを御釈迦様に伝え、八経ヶ岳へ向けて険しい岩場へと進みました。途中で那智勝浦の青岸渡寺からの修験者の方とお会いし、靡(なびき)での行を見学させてもらうことができました。法螺貝が山と胸に響き、お経が心地よく聞こえました。山には草木や花、石や岩あらゆるものに神や仏は存在し、日々の感謝の気持ちを伝え、力の源である山からパワーをいただくことができると修験者の方は言っていました。通じるものを感じ、八経ヶ岳へと向かいました。4年ぶりの八経ヶ岳からの眺めは忘れてしまった記憶の断片を修復するように遠くまで見渡すことができました。3日目の晩は、弥山の山小屋で一泊。久しぶりの有人小屋で、他の登山者とも会話が弾み、夜は更けていきました。

大峯奥駈道4日目

7月16日、大峯奥駈道4日目はハードな行程でした。距離は3日目の2/3ほどとなり、気を抜けるわけではありませんが、七曜岳(ひちようだけ)までは思わず腰を下ろしてゆっくりしたくなるような道のりとなりました。七曜岳から日本岳までは一変し岩崚が続きます。思った以上に登山者が多く、和佐又山ヒュッテから大普賢岳を目当てに登ってきているようです。和佐又山ヒュッテは4日目の宿泊地、大峯奥駈道を一度離れ大台ヶ原へ向かうためです。大普賢岳からはしっかりと整備された鉄の階段や梯子が連続しました。中腹を巻いて行く途中の大きな笙の窟(しょうのいわや)は役行者が大峯で初めて修行をした場所であり、修験者ではない僕でもパワーを感じずにはいられないほどです。小さなお堂に祀られた役行者に手を合わせ、ヒュッテへ戻りました。

大台ヶ原

7月17日、1泊2日で20キロ離れた大台ヶ原まで行って帰ってくる工程です。これまでの険しい修験道に比べれば、かなり歩きやすい道のりです。暑さとここまでの疲労で思ったほど体が動かず途中道端で昼寝をしてしまったため、大台ヶ原の駐車場には昼過ぎに到着。売店で柿の葉寿司を買ってお腹を満たしてからビジターセンターへ向かいました。午前中に到着していたら日本で初めての「利用調整区域」に指定された西大台を歩こうかと考えていましたが、すでに13時を回っていたため東大台を歩こうと決めました。しかし、ビジターセンターのスタッフさんから、曇りや雨の日は西大台!で晴れの日は東大台、今は曇っているので是非西大台へ行ってほしいと強烈に薦められました。当日の申請は11時までのため申請していないことを伝えると、すでに事前申請がされていたようで、あとは30分ほどの講習を受ければ西大台に入ることができるという。スタッフの熱意に推され、講習を受けて許可書を受け取り入口に走りました。西大台の魅力は手付かずの自然が残っていること。曇りや雨の日にいい表情を見ることができるということは珍しく、ブナやミズナラ、針葉樹の大木、足元には苔や様々な実生(みしょう)がありました。流れる小川も大台ヶ原の恵みの一つ、冷たくて美味しいです。ぐるりと一周回り、3時間ほどで大台ヶ原の駐車場に戻ってきました。まさかの展開で西大台を堪能できたので、明日は東大台を存分に堪能します。


7月18日、早朝4時に飛び起きた!!あっ寝坊した!慌てて出発の準備をして日出ヶ岳で日の出を見るため山頂に走りました。走りに走ってギリギリ到着したが…山頂には霧が立ち込めていて、雲の切れ間からなんとか昇ってくる太陽を見ることができました。一度宿に戻って朝食を済ませたあと再度出発。展望が魅力の正木峠(まさきとうげ)、神武天皇の銅像の前を通り、絶壁の上に立つ大蛇ぐらへ。少し霞はかかっていたものの展望の東大台を満喫することができました。2日間で2つの顔をもつ大台ヶ原に出会うことができていい時間でした。腹ごしらえをして、再び和佐又山ヒュッテへとドライブウェイを走りました。

大峯奥駈道再開

7月19日、縦走5日目は大普賢岳から山上ヶ岳(さんじょうがたけ)まで、日本で唯一となった女人禁制の山へと入ります。役行者はなぜ四方に女人結界を設け、山上ヶ岳を女人禁制としたのでしょうか?山上ヶ岳への道のりはさぞかし険しい道のりになるだろうと思っていたら、鎖場や岩場はほとんどなく、美しく穏やかな自然が広がっています。阿弥陀ヶ森(あみだがもり)で女人結界をくぐり抜け、いよいよ女人禁制の世界に入りました。特別何か感じたわけではありませんが、自然の美しさは際立っていました。山上ヶ岳の山頂には大きな大峯山寺(おおみねさんじ)の本堂があり、中には役行者が苦行ののちに感得したといわれる金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)が祀られているそうです。住職さんになぜ役行者は山上ヶ岳を女人禁制としたのかを聞いてみると意外な回答が返ってきました。「役行者は母想いで大切にしていたという。しかし厳しい修行に打ち込むため、母への甘えを絶つために女人結界を設け、山上ヶ岳を女人禁制としたそうだ。この結界は親孝行のためだった。」と教えていただくことができました。まさか母親との関係が深くかかわっていたとは思いもしませんでした。
7月20日、大峯奥駈道6日目、25キロ先の吉野山へ向けて出発。大きすぎて一目できない蔵王堂にたどり着きました。蔵王堂の前に立ち一礼、中へと入り幕で隠されている3体の金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)の前で手を合わせ、これまでの道のりや感じたこと感謝を伝えました。修験道は厳しいだけではなく、美しく穏やかな自然で心を落ち着かせてくれるという大切なことを知ることが出来ました。

竜門岳

7月22日、今は山頂まで杉に覆われてしまい景色は全く見ることができないという竜門岳へ。景色を楽しむのは早々にあきらめ登りはじめました。登山道にある竜門岳の歴史解説によると、中腹に竜門寺があり名高い武将や著名人が参拝に来ていたそうです。宿坊も数多く建ち並んでいたそうですが、少しの面影はあるものの姿形は無くなっています。きっと神仏分離の影響を受けたのでしょう。山頂への道のりはというと、かなりの急登で、まだ大峯奥駈道が続いていたのではないかと思うほどでした。汗だくになりながら山頂に立ち、社でお礼を伝え下山。大峯奥駈道の内容があまりにも濃いものとなったために、竜門岳から倶留尊山までの4座は中継ぎのように感じてしまうかもしれません。

 

<過去の記事>

  • ジローへの入会お申込みはこちら
  • jRO会員ログイン
  • 好きな山の絵を額縁つきですぐに買える!山の絵つなぐサイト by jRO
  • 会員特典