オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|日常生活でのケガで山でのアクシデントを思う

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「こうなる前に遭難しないための行動術を身につけよう
(写真はイメージです。写真提供:長野県警山岳遭難救助隊)」

気の緩みが招いた約2ヶ月間の療養生活

私ごとで恐縮だが、1月の終わりに自宅で階段を踏み外し、右足を2箇所骨折した。足首の剥離骨折と腓骨骨折である。
正確に言うと、足首のほうは昨年12月頭、街で酒を飲んで帰宅する途中、初めて通った薄暗い道で段差に気付かずつまずき、派手に転倒して痛めた。右足首はもともと捻挫癖がついていて靭帯が緩んでいたのだが、山へ行くときはハイカットの登山靴を履いているので、捻挫しそうになってもなんとか踏ん張れていた。しかし、このときはローカットのアプローチシューズだったうえ、酔っていたこともあり、踏ん張ることができずに呆気なく転んでしまった。
その瞬間、かくんと内側に曲がった右足首に激痛が走った。捻挫の痛みとしては、過去最高の痛さだった。それでもしばらくして立ち上がってみると、足をひきずりながらでも歩くことができたので、おそらく強度の捻挫だろうと判断した。ただ、治るまでしばらく時間がかかるなとも思った。

以降、足を引きずる生活が続いたが、痛みは少しずつ和らいでいった。2月上旬には北海道でのスキーツアーを計画していたため、足慣らしのために12月中に1回、1月には2回、ゲレンデスキーもした。正直、テレマークでのバックカントリーは厳しいかなという気がしたが、ゲレンデスキーだったら大丈夫だろうという感触だった。なにより、古いスキー仲間との久しぶりのツアーだったので、とても楽しみにしていた。
ところが、冒頭で述べたとおり、その直前に再びやらかしてしまった。踏み外したのは一段だけだったが、右足首を再び強く捻ってしまい、「あ、これはダメだ」と思った。近所にある整形外科をネットで調べ、すぐにレントゲンを撮って診てもらったら、案の定、剥離骨折と診断された。しかしそれはこの日に受傷したものではなく、2ヶ月前に負ったものだろうとのことだった。さらに2、3日して右脛の外側にも痛みが生じてきたので受信したところ、「腓骨も折れている」と言われた。
かくして北海道スキーツアーは、ドタキャンせざるをえなくなった。腓骨骨折が判明してからは松葉杖生活となり、ギブスが取れるまでほぼ1か月かかった。3月末現在、腓骨のほうはほぼ完治したが、足首の骨はたぶんもうくっ付かないだろうとのことだ。リハビリは開始しているが、右脚の筋肉や関節がすっかり固まってしまったので、ちゃんと歩けるようになるまで、もうしばらくかかりそうである。

もしこれが山のなかだったら……

今回のケガは100パーセント自分の不注意であることは間違いない。だからケガによって生じたさまざまな不都合や不便、損害などは自業自得だと思っているが、ただ一つだけ、「よかった」と感じたことがあった。それは、これが街中での出来事であったことだ。
階段を踏み外したあと、2階の自分の部屋まで這い上がり、ネットで調べてたまたま自宅の近くに予約なしで受信できる整形外科があることがわかり、念のため電話で診てもらえるかどうかを確認し、足を引きずってその病院に行くまでおよそ1時間弱。その間、「これが山のなかで起きていたら……」と、ずっと考え続けていた。

たとえばひとりで山を歩いているときに、うっかり転倒して古傷の右足首を痛めてしまったとしよう。なんとか歩けないことはないが、ストックを杖代わりにしても、同じ距離を歩くのに通常の3倍以上の時間がかかってしまう。その場所から携帯電話は通じず、マイナーなコースなので、ほかの登山者は通りかかりそうにない。周辺に避難できる山小屋などはなく、いちばん近い下山口に下りるまでの標準コースタイムは約2時間30分。単純計算して8時間近くかかるとして、現在午後1時ごろだとすると、日没前までには下りられないから、山中で一夜を明かすことになる。

ツエルトと防寒具は持っているが、天気がいいとは限らない。時期や山によっては、朝晩の寒さはかなり厳しくなる。負傷している体には、負担の大きな厳しいビバークとなるなるはずだ。階段を踏み外したときは、病院で治療を受けるまで悪寒がして、歯の根が合わなかった。これが厳冬期の雪山での事故だったら、と想像するだけで、「そんな状況下で、果たして自分は耐えられるのだろうか」と思った。

仕事柄、これまで多くの遭難者の方にインタビューして、遭難してから助かるまでの経緯をうかがってきた。そのなかには、重傷を負い、極限状態に追い詰められながら、〝生〟を諦めずに生還した方が何人もいた。
話を聞いたり、それらを文章にしたりしているときは、遭難者の方たちの意思の強さをただただ凄いと感じ、万が一、自分が同じような状況に置かれたときは、彼らの行動を見習わなくてはと思っていた。
しかし、自分が負傷してみて感じたのは、遭難の現実というのは、想像しているものよりも、もっと辛く過酷なものではないだろうかということだった。今回の街中の自宅での事故でさえ、私は大きな不安と心細さを感じ、手痛いダメージを被った。同じような事故が山で起きたときには、はるかに厳しい状況に追い込まれるであろうことは容易に想像できる。だが、現実は想像以上に壮絶なのではないか。その状況に置かれたときに、果たして冷静かつ適切に対処できるのか。「生きて帰る」という強い意志を持ち続けられるのか。そんなことを考えさせられたのが、今回の出来事であった。

大事なのは、まずは遭難しないこと

この事故のあと、思い出したことがある。ある国際山岳ガイドの監修のもと、登山の技術書の編集作業を行なっていたときに、雪上での滑落停止技術についての話になった。私は技術をどう解説すればいいのかということを考えていたのだが、彼の口から出たのが次の言葉だった。

「滑落停止技術も大事だけど、それよりもまず雪の上を滑落しないように歩く技術を学ぶことのほうがずっと大事だよ」

それは目から鱗のひとことであり、「なるほど」と得心した。たしかに、雪上で滑落したときに、とっさに滑落停止の体勢をとったとしても、必ず滑落が止まるとはかぎらない。生半可な技術で止まろうとしたら、逆に大事にいたってしまうことだってありうる。しかし、基本的な雪上歩行技術がしっかり身についていれば、滑落することなく、雪の斜面を登り下りすることができる。

つまりなにが言いたいのかというと、今回のケガで、「もしこれが山だったら」と、あれこれ考えてしまったが、要は山で遭難しなければいいのだ、という話である。遭難さえしなければ、家族に心配をかけることも、全治数ヶ月ものケガを負うこともない。生死の境を彷徨うことも、極限状況下に置かれるようなことも、まずないだろう。

私たちは、山でアクシデントに遭遇したときに備えて、ファーストエイドやビバークの方法などについて学習するが、最優先させるべきは、事故を起こさないようにすることだ。そのためのさまざまな行動術が、登山の基本であり、まず学ぶべきことなのだと思う。ファーストエイドやビバークなど、いわゆる事後の対処のノウハウは、基本を身につけた次の段階で学べばいい。

もっとも、遭難事故の大半はヒューマンエラーによって引き起こされる。ヒューマンエラーを100パーセント防ぐことは不可能なので、事故を完封することはできず、「遭難しなければいい」と言ってもそう簡単なことではない。

ただ、今回の私のケガが気の緩みによって引き起こされたように、遭難事故の多くもまた油断や不注意が要因となっている。常に緊張感を保つのは無理にしても、なにかしらのリスクがある場所では気を引き締めるようにするだけでも、事故の予防に役立つのではないだろうか。

山はもちろん、日常生活のなかでも、これからは事故を起こさないようにすることを強く意識していこうと思う。

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』(山と渓谷社)がある。

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