田中陽希の安全登山への道|同行者・バディ・パーティ

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信頼関係が結ばれているチームを組めば、フォローし合うことで目標を達成できるし、目的の山頂にも立てる。しかし、最近はソロ登山者が増えている。「ひと筆書き」の挑戦中にも、多くのソロ登山者とすれ違った。ソロ登山はチームで登るよりも自由で得られるものもあると思う。でも、リスクもその分大きくなる。誰にも頼れない単独での行動は、自分自身で状況を把握して、行動を判断する力が大事だ。

チームだから得られるものとプレッシャー

長年、歩き、登り続けた日本の名山を巡る「グレートトラバース」の挑戦の旅も、完全な単独登山ではない。僕自身が立案、計画、実行した単独での挑戦ではあるが、ドキュメンタリー番組として撮影スタッフが同行密着している。
ただし、撮影スタッフに装備や食料を運んでもらったり、ロープを使って安全確保をしてもらったりなどのサポートやフォローは、一切ない。
しかし、緊張する場面などでは、その場にいるという「存在感」だけで、不安や緊張が和らいだりすることは正直あった。

「グレートトラバース」という挑戦は、それぞれの立場で共有するチームになっていたように感じている。撮影スタッフは「番組のため」、僕は「自分自身のため」。
目的は違うが、田中陽希が日々歩き登り、挑戦を続けることで番組が成立していく。多くの人の目にも触れているため、番組の成立には全くの無責任ではいられない。
自分に何かあれば、自分だけのトラブルでは済まないことは、挑戦の中で日々感じてきた。
登山中はもちろんのこと、山から山へ移動する道中でもだ。トラブルを起こさないよう常に気を張り、歩き、登ってきた。
自分の安易な判断や行動により、撮影スタッフにも、同等かそれ以上のリスクを共有させてしまうことへの不安や緊張だけではなく、それ以上に背負う責任が重くのしかかることもあった。
登山において、また登山以外の場面でも、目的とする山頂、目標とするモノに向かって、チーム(バディ・パーティ)を組むとき、お互いが強い絆で、信頼関係がしっかりと結ばれていることが成功への鍵でもある。

危うく見えてしまう登山者。しかし、、、

しかし昨今では、単独登山者の数も増えているのが現状だ。
「グレートトラバース」の挑戦中にも、単独で行動する登山者と多くすれ違ってきた。中には、その後遭難してしまった人もいたと聞く。
これだけ長く山と向き合い、四季を通じてアプローチし続けてきたため、装備ひとつひとつの知識、使うための技術や経験値も自然と備わっていく。
それは自分だけではなく、すれ違う登山者を一瞬のわずかな時間で観察し、この登山者が危ういかどうかを判断してしまう癖が備わってしまうほどにだ。
足下からシューズ、ウェアの着こなし、ザックの背負い方、歩き方、表情、道具の使い方など。頼りない足取りをしていたら、かなり疲弊しているだろうと想像する。
ザックの背負い方が体に合っていないのを見ると「もう少しこうした方がいいのにな・・・」と思う。
しかし、思うだけで本人に伝えることはない。なぜなら、バディでもなく、一緒に組むチームメンバーでもないからだ。
無責任といわれてしまえばそれまでだが、そうしない理由がある。

はじめに挑戦した百名山を達成したあと、山でも街でも登山のアドバイスを求められることが増えた。それから、質問ひとつひとつへの発言に対する重い責任を感じるようになったのだ。それは、「アドバイスへの責任」。
登山だけに限らず、人はそれぞれに違いがある。生活環境、価値観、考え方、性格、年齢、性別、職業、体力、そして、心。
自分のアドバイスが全員に合うとは必ずしも限らない。同じアドバイスでも、A氏にははまって、B氏にははまらないこともよくあることだろう。
だから、毎回「これは僕のケースです。必ずしも正しい回答であるとは限りません。」というようなき前置きを入れるようにしている。
「僕はこの場合はこう考える。こう思う。」と主観を伝えるだけ、相手に「こうした方がいい、ああした方がいい」ということは、極力いわないように心がけている。
なぜなら、言葉とは一人歩きするもので、いつの間にか尾ひれがつき背びれがつき、全く違う内容になってしまう。だから、発言にはしっかり配慮をして、責任を持たなくてはいけないと考える。

所属するアドベンチャーレースチームとなると話は別である。同じ目標と目的を持って、共に戦うチームメンバーであるからこそ、最善の策を決断するために余すことなく言葉をぶつけ合う。
ときには感情のぶつかり合いもある。それが必要と考えるからだ。
それを超えると、言葉という不安定なモノよりも、心で語り合えるまでになり、最高のチームになっていくはずだ。

チームを組むということ

複数人での登山では、お互いに気を配り、ペースを合わせ、時にフォローをしながら、足並みそろえて登っていくことが求められる。
経験値や体力の差、性格、価値観の違いなどがあるからだ。
しかし、それにわずらわしさを感じて、一人で山へと足を踏み入れる登山者も多くいるのも事実だ。

アルプスや八ヶ岳などの険しい山行や長い縦走中に、多くのグループ登山とも出会ってきた。10人を超える団体から、夫婦やカップルなどの小グループまで。
南アルプスの甲斐駒ヶ岳の山小屋を利用したとき、小屋の方と登山者のやり取りが聞こえてきたことがある。
小屋の方が「もう一人は?今日は二人の予定だよね?」と到着した登山者に聞いていた。すると登山者は「遅いので先に来ました。もう一人は後から来ます。」との一言。
その途端小屋の方から「それはだめだ!すぐに引き返して一緒に登ってきなさい!」と一喝していた。
小屋の方にあとで話を聞くと、最近はこういう登山者が多いと言うのだ。
現に旅の最中に他の場所でも、体力のない登山者が経験値や体力のあるパートナーに置いてかれている光景をよく目にした。
行く先は同じで、山頂で待っていればいつかは登ってくるだろうと思うかもしれないが、いつトラブルが起きるかは誰にもわからない。途中でけがをしたり、熱中症で倒れたりしても、町中のようにすぐには救急車も助けも呼べないのだ。だからこそ、行動を共にする場合は、常に一緒にいる必要がある。
経験者だから、健脚者だから大丈夫ということはない。初心者や体力のない側ばかりがトラブルになるとは、必ずしも限らないのである。

命をかける挑戦ではないと判断

2018年10月下旬、北アルプス南部の槍ヶ岳に登頂したときのことだ。
当初の計画では焼岳から、西穂高、ジャンダルム、奥穂高岳、北穂高岳、大キレットと穂高連峰を縦走して、槍ヶ岳を目指す計画だった。
しかし、季節は晩秋、3000mの稜線ではすでに雪が降り始め、刻一刻と山の冬支度が進んでいた。

新穂高からの入山前日に、予定ルートに積雪があった。厳しい岩稜、骨折から完治して間もない右手、そして初めてのルート。
考えるまでもなく、計画を変更した。
記念すべき100座目となるはずの大天井岳に立つ数日間の長い計画だったが、「グレートトラバース」の先はまだまだ長いのだ。より確実に、リスクの少ないルートを最優先に考えた。
「グレートトラバース」は挑戦の旅ではあったが、チャレンジングなルートを選択することが最良ではないことも身に染みていた。なぜなら、「命をかける挑戦」ではないからだ。
結局、上高地から、横尾を経由し、涸沢から奥穂高岳に登頂。その後、大キレットを避けて、横尾へと下り、槍沢から南岳、大喰岳と縦走し、槍ヶ岳に登頂した。

山小屋でゾッとした体験

その日の晩、槍ヶ岳の小屋での出来事だった。
夕食時に10人くらい集まった登山者同士の弾んだ会話が聞こえてきた。
よくある光景だなと思いながら食事をしていると、聞こえてきた会話に少し違和感を覚えた。

どうやら全員がソロ登山者のようだ。それぞれが「どこから登ってきた?」「明日はどのルートでどこへ下山する」という話題が中心となっていた。
「登山道に雪が付いているので、無理せずに槍沢を上高地へ下ります」「南岳まで縦走して、槍沢に下りて、上高地へ帰ります」という声があった。その中で「大キレットから北穂高岳へ行く人はいませんか?」という声があがった。
すると、10人ほどの登山者の中から3人くらいが手を挙げたと思う。そのうちの一人が「僕は夏に行ったことがあるので、いこうと思います」と言う。
もう一人は「大キレットは初めてで、雪も付いているから、悩んでいます」と言った。すると、会話の中心にいた人が「一緒に行きませんか」と声をかけた。その声に「本当ですか!それなら行きましょう。暗いうちから出れば、その日のうちに上高地に下りられますよね」と、意気投合していた。

その一部始終に、思わずゾッとしてしまったわけだ。
急ごしらえのパーティで、相手の技量、体力、経験値などが分からない状況にも関わらず、いともたやすく行動を共にすることに対してモゾモゾとした不安のような感情を覚えている。
すると最後に「ここは田中さんにアドバイスをもらいましょう!」と、話の矢面に突然引きずり出された。

「えっ!」という戸惑いよりも、「なぜ?アドバイスをしなくてはならないんだ?」という思いが先にあった。

少し間をとり、「すみませんが、僕からは何も言えません。ご自身で判断してください。」と真面目な表情で返答した。
当然のように場の雰囲気に水を差すこととなり、会話はそこで終わり、それぞれに夕食を切り上げていった。このときは少し真面目すぎたかなと思ったが、一瞬で命を持っていかれてしまうのが山。そういうリスクのある場所にいることをそれぞれが真剣に考えてほしかった。

夕食後、その場にいた一人の男性が「田中さんの言葉に助けられました。明日は無理せずに上高地へ下山します」と声をかけてくれた。
翌朝、山小屋の方にうかがうと、2人が朝3時に大キレットから北穂高岳へ向かったと教えてくれた。
単独で山に登ることで得られるメリットも多いが、同時にそれまでにはなかったデメリットやリスクは大きくなる。常日頃からそういったリスクも意識していくことが大切だと考えている。

2020年3月飯豊連峰から下山中

2020年11月暑寒別岳登山中

2021年10月チームメンバーと大会出場

2021年11月チームメンバーと大会出場

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