田中陽希の安全登山への道｜なくてはならない存在の「山小屋・テント場」

2014年から始まった日本3百名山ひと筆書きの挑戦で、欠かすことのできなかった存在がある。それが「山小屋」だ。スタートの地、屋久島宮浦岳からゴール利尻島の利尻岳まで、数多くの山小屋を利用し、登山の助けとなってきた。食糧確保、飲み水補給、休息や宿泊、時には荒れる山から一時避難するために。

他の登山者と一時を共にすることもあれば、嵐が去るのを孤独にじっと待つこともあった。利用させていただく度に思うのは山小屋という存在への「ありがたい」という感謝の気持ちだ。

2018年10月穂高岳山荘

モラルの低い登山者に言葉を失う

全国各地の山には多くの山小屋が存在している。なかには、北海道の日高山脈の縦走路など山小屋が一切ない山域もある。頼れる山小屋がないと不安からくるストレスは大きい。定員の少ない小さな無人小屋があるだけでも安心感が得られるのだから、小屋の有り無しが登山者へ与える精神的ストレスの差は計り知れない。
2021年6月大雪山系沼ノ原キャンプ指定地

この頃はソロ登山者が増えたので、山小屋ではなくテントに泊まる登山者が多くなったと聞く。人が増えるということは、いろいろな人がいるからだろう。これまでにはいなかったテント場でモラルの低い登山者が散見されるようになったと、山小屋の方から話を伺うこともあった。

無銭利用、不要物やゴミの放置、それだけではなくなんと窃盗まで。無銭利用は意外と多いと聞き、言葉を失った。手口は簡単という。山小屋も寝静まった夜更けにテントをこそっと張り、まだ起きている人の多くない未明に出発していくそうだ。

2018年10月針ノ木小屋キャンプ指定地

登山者同士のトラブルもよくあるという。テント場は限られたスペースのため、登山者で混み合う場合にはトラブルが起きやすいのだろう。テントに泊まるほとんどの登山者は暗くなるとともに寝て、夜も明けぬ時間から行動を開始する。モラルの低い登山者は21時以降になっても酒を酌み交わして大騒ぎをするので、トラブルの原因になるのだ。

登山者の間でよく耳にする「登山をする人に悪い人はいない」。時代の変化なのだろか、現状を知るとそれはもう過去の言葉になってしまったのではないかと思ってしまう。

「次の登山者のために」という思いが大切な場所を守る

モラルの低い登山者が去ったテント場には、空き缶や包装袋、食べ残しなどのゴミが石や茂みの陰に捨て置かれていた。見過ごせるわけもなく、それを拾って麓の町まで背負い下ろしたこともあった。ほとんどは管理する山小屋が処分することになるのだが、ヘリコプターで荷下ろしを依頼するだけでも想像以上の金額がかかるということだった。

山小屋にもテント場にも、維持管理する人が必ずいる。そこには、長い時間と費用をかけてでも「山を登る一人一人が笑顔で安全に下山してほしい」という気持ちが詰まっているのだ。利用する登山者からすれば、人生の中で一度きりかもしれない。しかし、たくさんの登山者が利用する大切な想いが込められた場所だからこそ、「次の登山者も気持ちよく使えるように」という思いがなくてはならない。

2019年5月双子池ヒュッテ

山小屋で受けた恩恵には「使う前よりもきれいに」で返す

意外かもしれないが、これまでの挑戦ではテントよりも山小屋で宿泊する方が圧倒的に多かった。テントやツエルトを持っていないわけではない。緊急時には使うため常に携帯はしていたが、山小屋の方が精神的にも肉体的にも圧倒的に休まるからだ。長い挑戦のため、疲労の積み重ねによる不調やケガへのリスクを最小限に抑える必要があったのだ。

山小屋は暖かく、栄養バランスがいい食事がとれる。冬などの厳しい季節ならなおさらその存在は大きい。濡れたモノを乾かすことができるし、他の登山者とコミュニケーションをとることもできる。何より山小屋の方から、最新の登山情報を入手することができる。登山者にとって、山小屋は安らぎの場と共に貴重な情報源であることは間違いないだろう。

2019年5月北八ヶ岳黒百合ヒュッテ

全国各地にある多くの名山に安心して登ることができるのは、先人たちが長い歳月をかけて手つかずの山を切り開いて、山小屋という拠点を建てくれたからだ。そして、多くの人たちの尽力によって維持管理されてきたのだ。そのことを少しでも心に留め置けば、山と山に関わる人への感謝と敬意を抱いて山に向き合うことができるのだと思う。

山小屋やテント場を利用した時にモットーとしていることがある。「使う前よりもきれいに！」だ。