日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(2)市房山~涌蓋山

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スタートから1ヶ月が過ぎて3県目、登った山は7つ。大隅海峡横断の際に天候回復待ちが10日間あったものの、かなりゆっくりと旅をしています。

市房山

2月2日、朝靄に包まれた湯山を登山口へ向けて出発し、9時過ぎに風がなく穏やかな登山道へと進みました。登山道に木漏れ日が差し込み、目の前に一際大きな市房杉が現れました。約1,000年前の平安時代、参道に沿って植えられた杉30本ほどが今も山奥に立ち続けています。遠くから見てもその存在には気付くことは難しく、市房山へ登って初めて巨木に出会うことができます。最大の市房杉の幹回りは8メートルを超え、その存在感に圧倒されます。参道は4合目にある市房山神宮まで続き、神様に挨拶をしてから本格的な登山道へ。4合目から7合目まではかなりの急登が続き、木々の間から眼下に雲海が広がります。その瞬間「うわー見事な雲海だー」と思わず声が出てしまいました。標高が上がるにつれ積雪は増えていきペースは慎重に。7合目からは展望が開け、晴れ間から霧島山や雲海、九州中央山地まで見渡しながらルンルン気分で登ることができました。山頂は見事な景色、真冬とは思えないほど気持ちのいい時間が流れていました。あまりの気持ちよさに山頂に長居してしまいました。

国見岳

2月5日、強い寒波の影響により国見岳に近づくことができず、天候回復のために上椎葉にとどまりました。朝晩の気温は-5度以下となり、地元の人も「こんなに冷え込むのは異常」だと。明日向かうことになっている向山地区は-10度、国見岳の山頂は-15度と山の天気予報にあり、まさに北海道と思ってしまうような気温でした。

2月7日、標高900メートルにある宿泊先を夜明け前に出る予定が…玄関を出ると山からの凍えるような風が吹き付け、雪が舞いました。見えるはずの山は雪雲に覆われ不安になってきました。コーヒーを飲みながら山を見上げ、国見岳まで行けるのかどうかは登ってみなければわからないし、ここで山を見続けても不安な気持ちは解消されないので、「今日は下見」と気持ちを切り替え、予定よりも1時間遅れで出発しました。萱野(かやの)登山口を8時半過ぎに出発。1,600メートルを超える五勇山(ごゆうざん)をまずは目指しました。降り積もった雪は少なくて軽く、序盤は支障なく登りました。時間の経過と共に、頭上の雪雲は晴れていき、真っ白な主稜線が見えてきました。1,300メートルを過ぎると積雪量は一気に増え、場所によっては膝上まで雪があります。さらに登り進め、1,500メートルを超えると、太ももまでの積雪となり簡単には進めなくなってきました。しかし、いつの間にか冷たく強い風は止み、暖かな日差しを感じていたため、気持ちは晴れやかでした。人間は暖かな太陽の光を浴びるだけで、こうも心が休まるのかと実感しながら、木々の間から見える山並みを眺めほっとしました。12時ごろ、雪をかき分け五勇山に登頂。市房山や阿蘇山、祖母山など九州中央山地の山々が見えました。五勇山でこの先のことを考えました。「途中で計画を変えるのは安直だ」と自分に言い聞かせ、プラン通り下見の1日とすることにして、国見岳には明日以降に目指すことに決めました。少しでも国見岳登頂の確率を上げるために、五勇山に荷物を置いて、午後はルート工作の時間に当てました。ルート工作といっても簡単なこと。ただ降り積もった雪のなかを一人歩き、踏み跡をつけるラッセルを行います。五勇山から2時間、国見岳との主稜線をラッセルして、ちょうど中間地点までで引き返しました。

2月8日、尾前地区から再び国見岳の登山口へ向けて歩き出しました。昨日のような山からの強い風雪はなく、穏やかな朝が訪れるころ登山口につきました。迷いや不安はなく、国見岳からの展望を待ち遠しく思いました。登山口から五勇山まで、昨日は3時間以上かかりましたが、今日は半分の時間で登った。昨日のルート工作の甲斐があります。9時に五勇山山頂に到着し、あっという間に昨日のラッセルの終点に着いてしまいました。10時、国見岳までは再びラッセルとなるため補給をしっかりしてから、誰も踏み入れていない雪原へ。40分ほどで小国見岳の山頂に到着し、その先に一際白い国見岳をようやく見ることができました。深い雪をかき分けながら、一歩また一歩と足を進めました。さらに1時間が過ぎたころ、待望の国見岳山頂に到着!山頂からの景色は見事で、深い谷と切り立った山並みがどこまでも続く椎葉村と、霞の奥には噴煙を上げる阿蘇山、2年前に夕日に染まる国見岳を見上げて感動した山都(やまと)の町が見えました。穏やかな風と暖かな日差しを受けながら、2時間ほど山頂での時間を過ごしました。2日間かけての登頂は、この時期ならではの登り方を学ぶ機会となりました。

九州最難関の縦走

大崩山(おおくえやま)から傾山(かたむきやま)を経由して祖母山までの2泊3日の縦走は、登山ルートの積雪量によって3日以上を要する可能性があり、その分の食糧も背負うため、バックパックの重量は20キロを超えました。初日の今日2月16日は10座目となる大崩山に登り、鹿納山(かのうやま)、五葉岳(ごようだけ)まで縦走し、鉱山跡地へと下山する行程となり、コースタイムは15時間を超えます。大崩山へ登るルートは、湧塚コースを選びました。計画当初は日之影町(ひのかげちょう)の鹿川から登る予定でしたが、地元の人からは「大崩山はぜひ湧塚コースから登ってほしい」と言われたことを思い出し、遠回りになるけど湧塚コースを選びました。天気予報は午後から雨でしたが、行くことを決断したのは縦走となるから。岩に氷が張り付く場所も所々あり、天候が崩れる中緊張を緩めずに大崩山山頂までたどり着きました。そこから五葉岳までの縦走と下山までは厳しい戦いとなりました。稜線は風雪に包まれ、予想以上に険しい岩稜と、積雪の中のアップダウンに背負う荷物がさらに重く感じました。しかし、初日は明日のためのいい布石とするために我慢と言い聞かせ、張り詰めすぎないように時々バックパックを下ろしては息抜きをして、気持ちをリフレッシュさせながら進み、1日13時間の行程が終わりました。

2月17日、谷間に日が差し込む前に宿を出発。昨日のどんより雲はすっきり晴れているが上空の雲は南東へと結構な速さで過ぎ去っていました。どうやら稜線は冷たい風が強いようです。9時過ぎに九折越(つづらごし)に到着し、小屋に不要な荷物を置いて往復となる傾山へと向かいました。葉が落ちた木々の隙間から見事な双耳峰が見え、思わず「あれを登るの!?登れるのか?」と声がこぼれてしまいました。西側から見ると、岩峰が空高く突き出ているのです。荒々しさや険しさを感じる一方で、かっこよさや美しさも感じる見事な山容。どんどん近づき、どんどん斜面は急になっていきます。小屋から1時間半ほどで山頂に到着。眼下には、これから歩く祖母山までの大縦走路が見え、北には大分の山々が広がっていました。少しだけ休憩をとってから小屋へと戻りました。傾山から祖母山の縦走は、旅を計画したときから決めていました。もちろん、縦走の方がルートがスムーズだったのもありましたが、九州に訪れる度に地元の人から「次回はぜひ傾山から祖母山まで縦走路をおすすめしたい」との声が多かったからでもあります。雪は予想よりは少なかったが、歩きやすい状況ではなく、本谷山までは冷たい風が体力を奪っていくのを感じながら歩きました。クタクタになりながら本谷山へ到着したときに、オリンピック男子フィギアスケートで羽生選手が金メダルを獲得したとのニュースで元気が戻り、尾平越までは気持ちよく歩くことが出来ました。傾山から祖母山の間には小屋が一軒しかないため、稜線から谷底まで下りてゲストハウスに宿泊。2日目も結局12時間の行動となりました。

2月18日、尾平地区のゲストハウスを出発し再び縦走路へと登りかえしました。尾平越(おひらごえ)から祖母山までは、アップダウンが激しさを増します。古祖母山(ふるそぼさん)、障子岳を経由します。標高が昨日より上がるために雪の量も増え、スノーシューが活躍しました。最初の古祖母山には出発から3時間ほどで到着。そして、そこからの景色に言葉を失うほど感動しました。山頂からの視界は南側だけの180度ほどしか見えませんが、その光景は独特で、オペラ劇場の観覧席から劇場全体を見下ろすような感じで、自然と腰を下ろしてゆっくりと景色を眺めたくなります。古祖母山から祖母山へは、深い雪と激しいアップダウン。重いザックでの縦走最終日ということで予想以上に疲労がたまり、休み休みで進んで4年ぶりに祖母山山頂に立ちました。登山道上の看板に「縦走路」ではなく「縦越路」と書いてあり、思わず笑ってしまいました。その言葉の方がしっくりくるからです。3日間におよぶ、九州最難関となった大崩山~傾山~祖母山までの縦越路を笑顔で無事に終わらせることができました。

鶴見岳~由布岳

2月22日、海岸から一気に国道など主要道路を横断せずに山頂まで登ることができる「一気登山」で有名な鶴見岳へ。標高差は1,375メートルで距離は12キロ、終盤は見上げるような鶴見岳の山頂への急登が続きます。スタート地点に着くと、大きな地図とコースタイムが書いてあり、自分の持っている地図には山頂まで5時間とあるが、大きな看板には6時間半とあります。しかし、新しい小さな看板には3時間50分とあり、どれが正しいかわかりませんでしたが、山頂につけばわかるとスタートを切りました。一気登山の言葉に燃えてしまい、スタートから走りました。川沿いを上り、川にかかる橋をいくつもくぐり、ロープウェイ乗り場からは本格的な登山道となりました。どんどん鶴見岳が迫ってくる感じがあり、勾配はどんどん急になっていきました。さすがに終盤には滝のように汗をかき、息を切らしながら樹林を抜けて、ロープウェイ山頂駅の上に出ました。別府市民の人たちにとって鶴見岳は「別府のシンボル」という意味がわかった気がします。山頂からは別府温泉と別府湾が一望でき、後ろには由布岳が鎮座していました。きっと麓の別府温泉のどこからでも鶴見岳は見えるのでしょう。スタートから3時間ほどで登頂し、山頂で休憩後に由布岳へと向かいました。

この旅始まって初の1日2座で、なおかつ総登高数は2,000メートルを超えます。鶴見岳から由布岳の東登山口へとかけ下りて、休むことなく東峰に向けて登り返しました。下山中に地元の方が、由布岳は家のような存在であたたかく包み込んでくれると教えてくれました。3度目となる由布岳は自分にどんなことを感じさせてくれるのかを胸に、再び見上げるような急登を登りました。鶴見岳以上にヘロヘロになりながらも、3度目の正直となる山頂からの景色を見たい一心で登り続けました。東峰の直下は、今までの東峰のイメージを覆すような岩峰で、西峰よりも険しいと感じました。由布岳もクッタクタになりながらの登頂となりましたが、念願の山頂からの展望を目にして、不思議と元気がわいてきました。下山後は湯布院の共同浴場で、1日の疲れを癒しました。

くじゅう連山

2月24日、放射冷却でかなり冷え込んだ朝、法華院温泉を出発。今日は、くじゅう連山の頂という頂を連登します。坊ガツルをわたり、大戸越から北大船山を経由するコースで、15座目の大船山を目指します。カチカチに凍った踏みあとに足を取られながらも、大戸越まで登ると太陽の暖かさが全身に伝わりました。春になるとミヤマキリシマが一面に咲く、北大船山への斜面を登ります。逸る気持ちを押さえながらも、山荘で見た大船山からのパノラマ写真の景色を見たい気持ちが背中を押しました。9時半に大船山に登頂。見事な冬の九重山の大パノラマを見ることができました。初めての東側からの眺めは、九重山の中庭を覗き込んでいるよう。山頂でコーヒーを飲みながら1時間、ギリギリまで大船山からの眺望を楽しみ、再び法華院温泉に戻ってから鉾立峠経由で九重山一つ目の白口岳(しらくちだけ)を目指しました。見上げるほどの急登は由布岳を思い出すようで、見上げる回数よりも振り返り坊ガツルや大船山を眺める回数を増やしました。白口岳に立つと、大船山から中庭のように見えていた場所がぐっと近づき、その中へと足を踏み入れたことを知りました。右に九州本島最高峰の中岳、正面に久住山、左に稲星山(いなぼしやま)が見えて、それぞれの山頂に立つ人影や次の頂へと向かう姿が見えました。白口岳からは、稲星山→中岳→天狗ヶ城→御池→久住山→星生山→牧ノ戸というルートで進みました。まさに九重の中庭を駆け回る感じです。中岳ではこの旅始まって最も多くの登山者が出迎えてくれました。それから、凍った御池を歩き、一人感動の時間を過ごしました。本峰の久住山へと日は傾き始め、気づけばそれぞれの山頂にいた登山者が方々の下山口へと向かう姿が見えました。4年ぶりの久住山に立つと、やはり6年前に最初の挑戦のきっかけとなった旅での感動を思い出します。誰もいない山頂から見えた、遠く阿蘇山の姿が美しかったのが忘れられません。予定よりも時間が押していたので、最後の星生山(ほっしょうざん)を諦めようかと思いましたが、大分から来たというおじさんから、星生山からの景色は格別だと聞いて、やっぱりいくことにしました。久住分かれで山頂に手袋を忘れてきてしまい、もう一度久住山まで登り返すという珍事がありましたが、西日に輝く九重山や大船山を星生山から見て、諦めずに登ってきてよかったと心底思いました。九重の中庭は1日でいくつもの頂に登ることが出来、そしてそれぞれに景色の変化があります。自分の体力に合わせて、コースをセレクトできるのも魅力の一つであり、たくさん登山者を何度も引き付けて止まない理由なんだと感じました。星生山からみえた大船山はちょっと離れただけなのに霞がかかり、手が届きそうで届かない、そんな姿に見えました。いつかあそこへ行って九重山を眺めてみたい、そう思わずにはいられません。こんなにくじゅう連山を味わい尽くすことができるとは思っていなかったため、牧ノ戸に無事に到着したときは充実感に包まれていました。一度では味わい尽くせない山、それがくじゅう連山です。

涌蓋山

2月26日、今日はくじゅう連山の西の端に位置する独立峰涌蓋山(わいたさん)に登ります。火山独特の山並みの九重山とは異なり、美しい草原が涌蓋山の裾野に広がり、みそこぶし山や一目山への縱走路にいたっては見てしまったら歩き出したくなるような景色です。宿を出発してから登頂直前まではしっかりと山頂が見えていましたが、登頂と同時に山頂はすっぽりと雲に包まれてしまい、視界は50メートルほどになってしまいました。その突然すぎる変化に笑うしかなく…。山頂標識で記念写真を撮っていると、上空からチラチラと雪が舞ってきました。改めて山は天候が急変しやすいことを涌蓋山が教えてくれました。1時間待っても雲が晴れそうになかったので、きっと晴れているだろうみそこぶし山でコーヒーを飲むために山頂を後にしました。思った通り、みそこぶしから一目山方面は日差しが差し込んでいました。見た通りの気持ちよい稜線歩きをして、みそこぶしの山頂へ。振り返ると、涌蓋山にかかっていた雲は晴れていました。涌蓋山は静かで、自分のペースでゆっくり歩くことができて、プライベート登山を楽しむことができる山だからよく登りに来ると、山頂で出会った登山者が教えてくれました。その通りだなぁと感じながら、ゆっくり歩くことがこの山の魅力だと知りました。一目山に着くときには低かった雲たちも高くなり、1日のんびりあるいた山並みの先に涌蓋山が美しく立ち、九重山や麓の景色を眺めているように見えました。のんびり静かに歩きたいときは、涌蓋山をおすすめしたいです。最後は一目山からいちもくさんにかけ降りました(笑)

阿蘇山解禁

今日で今年の2月が終わります。昨日、阿蘇山のカルデラの中に下り立ち、4年ぶりに阿蘇市からの阿蘇山を目の前にしました。火山活動や風も穏やかで、西日に阿蘇の輪郭が際立っていました。上部は雪化粧、中腹からは広大な牧草地が広がり、所々崩れてはいても美しさはそれほど変わってはいないように見えました。旅のスタート時は鹿児島の桜島のように地震や火山活動により入山規制がかかっていたため、阿蘇山も登ることが出来ませんでした。最高峰の高岳はあきらめ烏帽子岳への登山で今回は阿蘇山登頂としようと考えていました。しかし、竹島での10日間の停滞が良かったのか、それとも旅のスケジュールを気にせずゆっくりと旅を楽しむ姿勢が良かったのか、阿蘇山を直前にして思わぬ朗報が舞い込みました。本日2月28日に熊本地震以来入山規制がかかっていた阿蘇山最高峰の高岳への登山が解除されるとの情報です。正式な発表はホームページに掲載されるとのことだったので、昨日は何度もページを閲覧しました。なかなか更新がされず半信半疑の状態が続きましたが、夕方に更新を確認することができて、ようやくホッと。明日はいよいよ阿蘇山です♪

 

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