田中陽希の安全登山への道|登山に持っていく飲料水の量

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汗をたくさんかく登山には飲料水が欠かせない。
脱水症状にひとたびなれば、体が言うことを聞かず、意識障害まで出てくることもある。
しかし、山では簡単に水が手に入らない。自販機や蛇口で補給できる街中とは違うのだ。
僕は八海山で忘れられない水不足を体験した。
それ以来、山に持っていく飲料水の量には十分気を付けている。
「グレートトラバース」に挑戦してから講演させていただく機会が多く、ご来場者から飲料水の量について質問を受けたことがある。
「登山の時に飲料水をどれくらい持ったらいいかいつも迷っています。どれくらいの量が適切でしょうか?」
簡単なようですごく悩ましいその質問に、すぐに回答できなかった記憶が残っている。

適切な水の量はない

山に持っていく飲料水に「適切な量」というのはない。
日帰り登山だから1リットル。縦走登山だから3リットルとも言うが、それほど単純ではないのだ。
よって、「標高1,000m、標高差500m、コースタイム往復5時間の日帰り登山は、2リットル」「標高3,000m、標高差2,000m、コースタイム往復20時間の1泊2日の登山は5リットル」などの基準は当然存在しない。

飲料水の量は、様々な情報から自分にとっての必要量を自身で導き出す必要がある。
季節、天候、気象条件、登山道の状況、水場の間隔、山小屋の有無、登山者本人の経験・技術・体力など、いろいろな条件の影響によって持つべき飲料水の量は変わるのだ。
そして持って行った飲料水が万が一なくなった場合、市街地や麓であれば自動販売機や商店、ときには民家を頼りにすることもできるが、山の中ではそうはいかない。
だから、自分にとって適切な飲料水の量を把握しておくことはとても大切だ。飲料水を持っていない不安は計り知れなく、水不足によって起きる体の異変は想像以上だからだ。

忘れられない八海山での水不足

「日本2百名山ひと筆書き」に挑戦中だった2015年8月。越後三山の八海山、中ノ岳、そして荒沢岳と1泊2日の縦走登山を計画した。
飲料水1リットルを背負って、まずは八海山へと向かった。
水を1リットルしか持っていかなかったのは、稜線に出る前にある水場で補給する予定にしていたためだ。しかしその水場は涸れていた。
途中に寄った山小屋では、水2リットルで1,000円という値段にビビッてしまい、購入を見送ってしまった。

なぜ山小屋で水を買わなかったのかを判断した理由は、三つあったと分析している。
一つめは、いつもならなくなっているはずの最初に持っていた1リットルの水が、その時点ではまだほとんど残っていたこと。
二つめは、涼しい内に標高を上げるため、日中はそれほど暑くならないと予想し、水もあまり飲まないだろうと思っていた。
三つめは、先を急ぎたい気持ちが状況を判断する冷静さを失う原因になっていた。
そして、この判断のすべてが間違っていた。

水を買うのを見送った後、八海山の難所である八ツ峰で予想以上に時間がかかってしまった。
そのため、八ツ峰最高峰の入道岳に着く頃には、携帯していた1リットルの飲料水の半分以上を飲んでしまっていた。
さらに、涼しいと予想していた気温も上昇。入道岳から中ノ岳を見上げながら、計画のまま縦走できる自信よりもなくなり、水を持っていない不安が先んじていたことを今もはっきり覚えている。

入道岳から中ノ岳までのコースタイムは約6時間の破線ルート。激しいアップダウンが連続する、切り立った険しい岩稜だ。
強い日差しと熱風を遮るものはなく、じわじわと体力を削られ、水分も体からどんどん奪われていった。
脱水症状は悪化の一途。
手足や舌、唇がしびれだし、足腰にも力が入らない。
一歩一歩が重く、10m先すら遠くに感じられた。
集中力は途切れ途切れになり、わずかな木陰を見つけるたびに立ち止まっては体から熱を逃がした。
しかし、根本的な解決にはならず、短い集中力でなんとか少しずつ前進し続けた。
体を力づける食料は豊富にある。でも、喉が全く受け付けない。食料ではなく、水を欲していた。
このとき、身体の水分が枯渇することの恐ろしさと、体調異状の悪循環に陥ることを身をもって体験したことになる。

進むのもやっとの状態だったため、予定していた中ノ岳避難小屋へ到着する前に日没を迎えてしまうことを覚悟した。
しかし、首の皮一枚でなんとか乗り切れたのは、中ノ岳の直下に涸れることのない水場が一ヵ所だけあったからだ。
「そこまでなんとか!」と気力を奮い立たせた。水場という希望があるかないかでは雲泥の結果だっただろう。
中ノ岳への最後の登りが見える御月山を越えると、眼下の沢筋に残った雪渓から水が流れ落ちていた。
水だ。喉から手が出るほど待ち望んだ水場だ。
「助かった」
水場に駆け寄りたかったが、そんな力すらも残っていなかった。
よたよたと近づき、手を伸ばし、とにかく飲んだ。もう飲めないと言うまで飲み続けた。
雪渓からの水は頭が痛くなるほどに冷たかった。
水を飲んだ瞬間、生を得たような感覚があった。疲労困憊だった表情に笑顔が戻ったのが、自分でも分かった。
荷を下ろしてその場にへたり込み、全身に水分が行き渡るまで1時間くらいは待っただろうか。それから、体の熱を下げるために雪渓からの冷たい水を浴びると、喉を通らなかった食料を補給できるまでに回復した。
それから、中ノ岳避難小屋までは別人のような足取りで登り切った。

そもそも、脱水症状が常態化していたのだ。
八海山までの道のりも連日の炎天下を歩き通しで、肌は真っ黒に焼けて、体も痩せ細っていた。
そんな状況で大量に水を飲んでも、汗かき体質もあって、あっという間に滝のような汗となっていた。一日に10リットル以上の水を飲むこともしばしばあったほどだ。

「ちょっと多いかな」くらいで安心

「日本2百名山」に挑戦中は、常に何かに追われ、先を急ぎ、焦りを抱えていた。そのため、自身の状態を正確に把握できず、挑む山の状況や考えられるリスクへの対応も疎かだった。
その証拠に、このときの越後三山縦走だけではなく、日高山脈のペテガリ岳、東北の御神楽岳など、登山中に飲料水を切らしてしまい、脱水症状に陥った経験が多かった。
このときの経験以降、携帯する水は「これくらいで大丈夫だろう」ではなく、「ちょっと多いかな」くらいで用意するようになった。少しでも不安を感じる量よりも、安心が得られる量を優先したのだ。

山に持っていく水量の計算には、緑茶やコーヒーなどのカフェインが入った飲料水は入れないようにしている。
常に考えるのは、純粋な水の量だ。
なぜなら、水は摂取時の体への負担が少なく、必要がなくなれば途中で捨てることも可能だからだ。
また、スポーツ飲料などは、飲むことで一時的な血糖値上昇を得られるが、その後の下降も早く、体への負担が大きいと考えている。さらに、飲んだときに「甘すぎる」「濃い」と感じてしまうことで、喉の渇きを加速させてしまう感覚もあると思う。

このような経験から、登山において「適切な水の量というのはない」と考えるようになった。
様々な情報や状況によってその都度、山に持っていく水の量は変わるのだ。
下山時にちょうど空っぽになっても、「計画通り」と喜ぶこともない。それよりも、「危なかった」と思うことを意識している。
なぜなら、万が一アクシデントがあったときには足らない水の量だったからだ。

「登山に適切な飲料水の量は」という講演会でのご質問に対しては、「500mlくらい残るくらいが安心できますね」と返答した。
「ちょっと多いかな?」くらいを持っていく安心感をお伝えしたかったのだ。
今も、咥えたハイドレーションのホースから水が出なくなった瞬間のあの感覚を忘れられない。全身が不安に包まれる恐怖の感覚だ。


2018年7月大峰奥崖道縦走中の水場


2018年7月大峰奥崖道縦走中の水場へ向かう

2020年8月岩手山8合目水場

2021年7月大雪山系縦走途中の水場

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