日本の国立公園の山の魅力|常念岳

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臼井吉見の『安曇野』の一節に次のような箇所がある。

主人公の良が守衛の絵を覗きながら
『それ、常念でしょ?・・・その右はなんていう・・・』
『三角のてっぺんだけのぞけてるのが東天井さ。つづいて大天井、有明山の左肩のうしろが燕だ。その北に尾根を引きずってるやつが餓鬼岳、次が蓮華、尾根がゆったり高まって爺ケ岳、それから鹿島槍、五竜、ちょっぴり雲のかかったのが白馬槍、つづいて杓子、次の低い峰が白馬・・・・』

『安曇野』はあの新宿・中村屋を立ち上げた相馬愛蔵・黒光夫妻、荻原守衛ら信州安曇野に生きた青年達を中心に、明治の激動の時代に活躍した若者たちを描いた、大叙事詩である。
その舞台の陰にどの時代にも凛と立ちはだかる父のような常念岳が聳えていた。
俗世界の悲しくもつまらない騒ぎにも動せず、飄々と存在感を醸し出している常念岳が好きだ。私の山登りの原点はもしかしたらこの山にあるのかも知れない。
安曇野を流れる清らかな水は常念岳やそれに連なる山々の雪解け水を源にして、あの山葵田を形成している。

始めて常念岳のピークに立ったのは、学生時代に燕岳から大天井を経て、登った時である。
5月の連休が終わったころだったような気がする。
未だ中房温泉が鄙びた感じが残っていて、都会の学生には何とも言えぬ情緒が感じられたころであった。
確か中房温泉に一泊し、燕山荘から大天井まで一気に歩き、槍や穂高の雄姿を見ながら表銀座を一人、雲上の悠々散歩としゃれこんだような記憶がある。
燕山荘から常念や蝶に向けて縦走するコースをパノラマ銀座と言う。
槍や穂高連峰の雄姿を一望にして、誰もが山をやっていて良かったなーと思うことが出来るコースだ。特に危険な個所があるわけではなく、天気さえ良ければ何の心配もなくあの憧れの槍や穂高連峰が手に取るように満喫できる。
燕山荘から間もなく蛙岩(げえろ岩)という花崗岩の尖塔の間を通り抜ける。為右衛門吊岩
を過ぎ、切通岩の先に小林喜作のレリーフをちらっと見て、大天荘で一本立てた。
季節も連休の喧騒が終わると稜線はほとんど人に会わなくて快適だ。
横通岳を過ぎると常念との間の広い鞍部になっている、常念乗越に漸くたどり着いた。横通岳から常念乗越までハイマツ帯の中を雷鳥の親子に会ったりして楽しんだものだ。
今日はここのテント場で予定通りの泊まりとする。

乗越からの登りは堆積した大きな石を踏み外さないように登る。程なく頂上に達した。常念からの眺望は東は安曇野から松本平、西は穂高を筆頭に北アルプスの峰々が一望できる。
常念頂上から一気に下って、蝶槍を超えるとまたもや穏やかな見晴らしのいい稜線歩きとなる。
蝶ケ岳は蝶ケ岳ヒュッテを超えて少し登ったところに穏やかに広い頂上がある。蝶ケ岳を経て長塀山を過ぎて徳澤園までの一人旅も乙なものである。下りは長塀尾根を槍・穂高の展望を満喫しながら行くと間もなく展望が無くなり、樹林帯となる。
そして延々と続く樹林帯に飽きたころに徳澤にたどり着いた。
徳澤園で冷えたリンゴをひとかじりして英気を養い、漸く喧騒の上高地へと足を進めた。

写真【安曇野から見た常念岳】

ウェストンが言っている。
「松本付近から仰ぐすべての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど、見る者に印象を与えるものはない」

深田久弥もこのように書いている。
松本から大町に向かって安曇野を走る電車の窓から、もしそれが冬であれば、前山を越えてピカリと光る真っ白いピラミッドが見える。私はそこを通るごとに、いつもその美しい峰から眼を離さない。

【中房温泉⇒燕岳⇒大天井岳⇒東天井岳⇒横通岳⇒常念岳⇒蝶が岳⇒長塀山⇒徳澤園】

日本山岳救助機構合同会社業務執行社員
中嶋 正治

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