羽根田治の安全登山通信|山のリスクについて無頓着な登山者をどう啓蒙していくか
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ここ数年、若い世代の間で登山ブームが盛り上がりを見せているのは周知のとおり。
若者をターゲットにした山の雑誌が相次いで創刊し、一 般誌が登山の特集を組み、山登りの楽しさや山の自然の素晴らしさを訴えるテレビ番組も目立つ。アウトドアウェアを中心に若者のニーズに応える形で新製品が 次々に開発され、メーカーや関係団体が開催する山ガール向けのイベントも多い。週末の早朝、奥多摩に向かう電車の中は、つい数年前までは中高年登山者ばか りだったのに、今は乗客の約半分を若い世代の登山者が占める。
その一方で懸念されるのが、若者たちの遭難事故だ。「若い人たちがどんどん山に来てくれるのはいいことだが、それに伴って遭難事故が増えたりしないよう、山の知識や技術を学ぶ場を提供していく必要がある」と書いたのは、本コラムの第2回目だった。
それからちょうど2年が経った今、危惧していたことがどうも現実になりつつあるような気がしてならない。たとえば奥武蔵や奥秩父などを抱える埼玉県内で昨 年起きた遭難事故の一覧を見ると、50~60代の中高年層に混じり、30代を中心にした若い年齢層の遭難者が目立っている。年明けに話を聞いた長野県警山 岳遭難救助隊の隊員は、「1年を通してみると、若い世代の遭難者は以前よりも増えていると思う」と言っていた。
全体的に見れば、遭難者の圧倒的 多数を占めるのは、やはり中高年層である(警察庁がまとめた2011年度の遭難事故統計によれば、全遭難者のうち40歳以上の遭難者が占める割合は約 77%、60歳以上の遭難者は約50%となっている)。若者の登山人口が増えているわりには事故がそれほど多くないのは、先のコラムにも書いたとおり、若 者は体力もあるし、バランス感覚や敏捷性にも優れているからだろう。同じ場所で石につまずいたとして、中高年だったらバランスを崩して転滑落してしまうと ころを、若者はなんとか体勢を立て直して転滑落せずにすむということは、間違いなくあると思う。
年齢に関係なく、山に登るうえでは体力があればあるほどリスクが低減されるのはたしかだ。しかしながら、体力だけではリスクを回避できない部分があるのも山である。
つい先日、奥多摩の川苔山に登ったときのこと。天気のいい日曜日だったので、奥多摩から登山口へ向かうバスは満員で増便が出るほど。その乗客の半 数はやはり若い世代の登山者だった。川乗橋から林道を遡っていき、登山道に入ると間もなくところどころに雪が現れた。百尋ノ滝を過ぎてしばらく山腹をトラ バースするように進み、川乗谷の枝沢上流部まで来ると、突然雪が深くなった。その先、トレースは沢沿いについているのだが、ある地点でトレースが二手に分 かれていた。1本はそのまま沢沿いに続いており、もう1本は沢を離れて左手の斜面に取り付いている。周囲を見回してみると、沢沿いのトレースには進入禁止 を示す倒木が横たえられていて、斜面に取り付くトレースには赤テープの目印があった。どちらが正しいルートかは一目瞭然である。ところが、先行する若者2 人は沢沿いのトレースのほうに入り込んでいたので、「そっちじゃないみたいだよ~」と声を掛けると、「あ、そうですか。ありがとうございます」と言って引 き返してきた。
そこからひと登りすると尾根に出て、ルートは尾根通しに山頂まで続いている。その尾根をたどっていたら、突然右手の斜面から若い 単独行の女性が飛び出してきてびっくりした。「トレースもついていなさそうだし、トイレにでも行ったのかなあ」とも思ったが、ふつうはザックを背負ったま 用を足したりはしない。おそらく、先ほど二手に分かれていたトレースを沢沿いに登ってきてしまったのだろう。
そんなことを考えながら山頂まで 行って、30分ほどのランチタイムをとって下山にとりかかった。すると、山頂から数分下ったところで、今度は若い男女数名のパーティが左手の急斜面から突 如現れた。思わず先頭の女性に「トレースはついていましたか」と尋ねたら、「いえ、途中で消えちゃいました」という答えが返ってきた。そのうしろにいた仲 間の女性は、「いや~、おもしろかった。わくわくしたね」と楽しそうに言っていた。やはり彼女たちも道なき沢沿いのルートを無理矢理登ってきたようだっ た。
不思議に思ったのは、進入禁止のマークと赤テープがあったにもかかわらず、どうして彼女たちは間違ったトレースをたどってきてしまったの か、ということだ。トレースが分かれているところで立ち止まり、ちょっと注意深くあたりを見てみれば、進むべき方向はすぐにわかるはずである。だが、彼女 たちにはわからなかった。
たぶんそれは、体力だけではカバーしきれない、知識や経験が少ないことによるものなのだろう。たまたま川苔山のあのルートだったから何事もなくすんだが、もしほかの山のほかのルートで同様のことをしたら、道迷いや転滑落を引き起こしていたかもしれない。
登山を始めたばかりの若者たちへの“教育”の重要性を、改めて感じた出来事だった。
遭難事故を減らすために、とくに初心者に対する教育が必要不可欠であることは言うまでもない。今の若者の登山ブームは、メーカーやマスコミ、山小 屋、山岳関連団体など業界が一丸となってつくりあげたものだといえるから、彼らを教育する役割を担うのは、この業界に関わるすべての人たちである。なかで も情報を発信して若者たちを導く立場にあるメディアの責務は大だと思う。
だけど現実はどうかというと、発信される情報に偏りがあると言わざるを 得ない。山登りの楽しさ、自然の素晴らしさ、山ガールファッションの可愛らしさ、購買欲をそそる新しいギアの魅力などは積極的に発信しても、山の怖さや危 険などについてはあまり扱おうとはしないからだ。
登山のいい面ばかりを取り上げて、ネガティブな情報は棚上げしておくというスタンスの裏には、 「山は危ない。危険だ」と思われることでせっかく訪れたブームが萎んでしまうのでは、との業界全体としての懸念がある。その気持ちは理解できなくもない。 だが、その結果が遭難事故の増加という形で現れたとしたら、長い目で見るとかえって自分たちの首を絞めることになるになるのではないだろうか。
今、自分の目には登山の敷居がずいぶん低くなっているように見えるが、もともと登山の敷居は高いものだと思う。それは今も昔も変わらないはずなのに、錯覚を生じさせるような今の状況は、やはりどこかがおかしいように思えてならない。
登山の魅力を声を大にして訴えるのは大いにけっこうなことだ。ただ、「でもね、」と付け加えることは忘れないでもらいたい。「山にはいろいろなリスクが潜んでおり、それらを回避するためには知識と技術と体力が必要なんだよ」ということを。
なかには老舗のメディアのように山のリスクについての情報をしっかり発信しているところもある。新興メディアにしても、ある救助関係者が「某誌と某誌が最近になって初めて遭難の取材にやってきた」と言っていたが、意識は少しずつ変わりつつあるようだ。
もっとも、メディアがいくら山のリスクについて発信をしても、いちばん肝心なのは最終的に個々の登山者がそれをどう受け止めるか、だ。救助活動に携わる某 氏曰く、「山のリスクに関する雑誌の記事をちゃんと読んでいるような人は、まず遭難しない。問題は、そういう記事を読もうとしない人たちだ」。
「登山届けを提出する人は遭難しない。提出しない人が遭難する」というのと同じ論理である。
そういう人たちにどう啓蒙していくか。遭難事故を減らしていくには、それが今後の大きな課題となろう。