オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|過去には幾度も大量遭難が起きている年末年始。果たして今シーズンは?

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三八豪雪

いよいよ師走を迎え、本格的な冬山シーズンの到来となった。まとまった休みが取れる年末年始に、冬山登山を計画している人も多いことだろう。
ただし、毎年、遭難事故が多発するのもこの期間。そこで今回は、過去に起きた年末年始の主な遭難事故を振り返ってみることにする。

年末年始における遭難事故としてよく知られているのが、1963(昭和38)年に北アルプス・薬師岳で起きた愛知大学山岳部パーティの遭難事故だ。同パーティの部員13人は、前年12月25日から1月13日までの日程で冬山合宿を計画、有峰から薬師岳を目指して入山したが、猛吹雪に遭遇し、山頂を目前にして登頂を断念。下山する途中でルートを間違え、13人全員が死亡するという、山岳遭難史に残る大惨事となった。
猛吹雪をもたらしたのは二つ玉低気圧だったが、前年12月末から2月初旬にかけては、強い冬型の気圧配置が続くなか、低気圧や前線が次々と通過して、北陸地方を中心に広い範囲で大雪となった。記録的なこの大雪は、のちに〝三八豪雪〟と呼ばれることになる。

三八豪雪下で起きた山岳遭難は、この愛知大学山岳部パーティの事故だけではない。12月下旬、冬山合宿で大雪山系に入山した北海道学芸大学函館分校山岳部の11人パーティは、旭岳からの下山途中で、発達した低気圧の通過に伴う猛吹雪に見舞われた。11人は懸命に避難場所の旭岳石室を目指したが、暴風雪のなかでルートを失い、大晦日から元日にかけて、次々と山中で力尽きてしまった。最終的に自力下山を果たしたのはリーダーひとりだけで、ほか10人の部員は全員が低体温症により還らぬ人となった。

これらのほかにも、北アルプスの南岳や乗鞍岳、南アルプス・甲斐駒ヶ岳、中央アルプス・空木岳、富士山、利尻富士などで死傷者が出る事故が起きている。続発した事故について、1月13日付の朝日新聞の天声人語では、〈正月以来もう二十くらいの生命が山で消え去っている〉とし、〈天候の急変する冬山は、だいたい初心者や未熟者の行くところではない〉〈自分の力量も図らずに危険な山にいどんで遭難するのはハタ迷惑というもの〉と、登山者を手厳しく批判した。個々の事例について検証したわけではないので、この指摘が的を得ているのかどうかわからない。ただ、ずいぶん上から目線の批評だなと感じるのは私だけだろうか。

豪雪や悪天候による大量遭難

年末年始の豪雪による大量遭難事故は、1977(昭和52)年、と1981(昭和56年)にも起きている。〝五二豪雪〟のときは、鹿島槍ヶ岳や奥穂高岳、剱岳、八海山、富士山などで遭難事故が相次いだが、そのときの状況を1月11日付の読売新聞は次のように伝える。
〈北ア一帯は昨年十二月二十五、六日ごろから猛吹雪となり、長野県警外勤課は単独行の登山者二十人に登山を中止するよう警告するとともに、パーティには「慎重な行動をとるよう」要請した“雪崩警告”を出した。しかし、これらの警告、要請が受け入れられたケースはほとどんどなく、前年同期より二〇%多い五千八百三十人が年末年始の吹雪をついて強行入山。新雪による雪崩続発で年明け早々から悲報が相次いだ〉

また、年末年始だけでも二十数件の遭難事故が発生し、約40人の死者・行方不明者を出すという史上最悪の大量遭難を記録したのが〝五六豪雪〟だ。そのなかでも、年末に逗子開成高校山岳部パーティ6人が唐松岳の八方尾根で行方不明となり、翌年5月に全員が遺体で発見された事故は、大きなニュースとなった。
ただ、五六豪雪のときに起きたほかの事故においては、無事救出された遭難者も少なくなかった。当時、中部山岳における救助活動の先頭に立っていた民間ヘリコプター会社・東邦航空の故篠原秋彦氏が、事故についてこう振り返っていたのを思い出す。
「1週間も猛吹雪が続いて全部ダメだろうって見られていたのが、あっちでも生きている、こっちでも手を振っていたとなったわけですからね。大したものですよ。あれだけの猛吹雪に見舞われながら、半分以上の遭難者が生きていたんだから。マイナス20度以下のなかを10日間近くも持ち堪えたっていうのは立派だと思います。あのころの登山者は強かったんですね」

気象庁が定めた「顕著な災害を起こした自然現象」からは外れているが、1969(昭和44)年の正月には剱岳で記録的なドカ雪が降り、15パーティ81人が山中に閉じ込められた。暴風雪や雪崩などによって18人が命を落としたこの大量遭難については、NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」で取り上げられ、話題を呼んだ(番組タイトルは「魔の山大遭難・決死の救出劇」)。
さらに2001(平成13)年の正月には、北アルプスで大量遭難が起きている。このときは大晦日から強い冬型の気圧配置となり、北アルプス一帯で猛吹雪が約1週間続いたことにより、富山・長野・岐阜の3県だけでも計21件の事故が発生する事態となった。特徴的だったのは、悪天候によって山中に閉じ込められ、下山できなくなったり凍傷を負うなどして救助を要請してきたパーティが多かったことだ。
この件については、検証記事をまとめるために関係者らに話を聞いた。そのなかで、救助に携わった人たちが「そもそも基本的な冬山対策ができていない。いったん天気が崩れたら、1週間や10日吹雪くのは当たり前なのに、それを見越していない。装備がお粗末すぎるし、持っている食料も少ない」「はっきり言って凍傷は事故じゃない。凍傷になってしまうのは事故管理ができていないからで、認識がアマすぎる」などと語っていたことが印象的だった。

記憶に残るそのほかの事故

個々の遭難事例としては、1995(平成7)年1月4日、中央アルプスの千畳敷で起きた雪崩事故がまず思い出される。この事故では、雪崩に巻き込まれた2パーティ計6人全員が死亡するという惨事となった。そのうち1パーティは山岳ガイドと女性客の2人組で、雪崩発生時、転倒した女性を助け起こそうとしてガイドが引き返したことで、2人とも雪崩に飲み込まれてしまった。場所はホテル千畳敷のすぐ目と鼻の先。なんともやるせない事故であった。
同じ雪崩事故としては、2007年の大晦日に北アルプス・槍平で起きた事故もよく覚えている。この日の深夜0時前、奥丸山の東側斜面で発生した雪崩が槍平まで流下し、幕営中の登山者7人を埋没させ、うち4人が亡くなった。槍平は昔から冬の槍ヶ岳登山のベースとされてきた場所であり、そのセイフティゾーンで雪崩事故が起きたことに、「まさか槍平で……」と驚きの声を上げた人も多かった。

2015(平成27)年1月2日には、新潟の神楽峰に入山したバックカントリーの3人パーティが行方不明になるという事故が起きた。深い積雪でルートを誤った3人は、2日後に無事救助されたのだが、登山届を出していなかったのに、「提出した」と嘘をついていたことが明らかになり、メディアに散々叩かれることになってしまった。その記者会見の模様がまるで見せしめのようだったので、あまり気分のいいものではなかった記憶がある。

また、悪天候により槍ヶ岳に閉じ込められていた社会人山岳会の2パーティ計11人が、救助を要請して全員が救助されたのは、2002(平成14)年の正月のこと。この件では、2パーティとも槍ヶ岳山荘の冬季小屋に避難していたこと、数日間堪えられるだけの食料や燃料もあったことなどから、「これが遭難といえるのか。救助要請があまりにも安易だったのではないか」という非難の声が上がり、インターネット上にはバッシングの嵐が吹き荒れた。ちなみに救助に携わった関係者の認識は、「あのときはものすごい雪だった。天候回復後に自力下山するにしても、雪崩のリスクが非常に高かったので、やむを得ない判断だった」というものであった。

これと同様の事故は、1989(平成元)〜90年の年末年始にも起きている。悪天候により剱岳と白馬連峰の清水岳に閉じ込められた4パーティ15人が、いずれもアマチュア無線で救助要請し、全員がヘリで無事救出されたという一件である。このときもやはり「救助要請が安易すぎる」という批判が沸き起こり、のちに「エア・タクシー事件」と命名されることになってしまった。

以上、個人的な主観で年末年始の遭難事故を回顧してみたが、昔のように一度に何人もの登山者が命を落としてしまう大きな遭難事故は、近年はほとんど起きていない。その要因としては、年末年始に厳しい冬山登山をする者が少なくなったこと、山岳会や山岳部のパーティによる大人数での登山が行なわれなくなったこと、冬の気象条件が昔ほど厳しくなくなったことなどが考えられよう。

さて、さる11月21日に気象庁が発表した3ヶ月予報によれば、どうもこの冬は暖冬のようである。寒気の影響が弱いため、平均気温は全国的に平年並みか高いとのこと。降雪量も、冬型の気圧配置になりにくいため、北日本の日本海側で平年並みか少なく、東・西日本の日本海側では少ないという。ただし、日本海の海面水温は平年より高いため、一時的に強い寒気が流れ込めば雪雲が発生し、ドカ雪になる恐れもあるそうだ。
暖冬といえど、油断は禁物。「前代未聞」「想定外」といった言葉は、大きな遭難事故が起きるたびに繰り返されてきた。この年末年始に山行を計画している方は、天気予報や現地の状況ををよくチェックして、危険を回避するための適切な判断をしていただきたい。


こんな天気図のときは要注意。山は大荒れの天候となる(気象庁ホームページより)

 

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』(山と渓谷社)がある。

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