オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|今夏も多発した山岳遭難事故と水難事故を比べてみて

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山と海、どちらが怖い?

本稿を書いているのは8月下旬、夏山シーズンもそろそろ終わりを迎える時期だ。シーズンを振り返るにはまだちょっと早いが、この夏もまた、北アルプスや富士山をはじめ各地の山で遭難事故が多発した。9月に入って発表される、警察庁や各都道府県の事故統計が気になるところである。

一方で、山岳遭難事故以上に目を引いたのが水難事故だ。川や海で泳いでいて流されたり、溺れそうになっている我が子を助けようとしたり、乗っていたカヌーが転覆するなどして命を落としてしまう悲惨な事故が、全国各地で相次いだ。

警察庁が発表している統計によると、2022(令和4)年の山岳遭難事故の発生状況は、遭難件数3015件、遭難者数3506人、死者・行方不明者327人であった。これに対し、同年の水難事故は発生件数1346件、水難者数1640人、死者・行方不明者727人。数字だけを見れば、山の事故のほうが海や川の事故よりも2倍以上多いということになるが、それぞれのレジャー人口がどれぐらいの数なのかわからないので、単純に比較はできない。

ただ、遭(水)難者数に占める死者・行方不明者の割合は、山が9・3%であるのに対し、海・川は44・3%と、海や川で事故が起きた場合、半数近い人が亡くなっているわけで、死亡率は圧倒的に水難事故のほうが高い。

私は趣味や仕事で山に登る傍ら、沖縄の島に通ってシュノーケリングも楽しんでいることから、たまに「山と海、どちらが怖いですか」と尋ねられる。この問いに、私は迷わずに「海のほうです」と答える。その理由はいうまでもなく、水の中というのは人間が生きられる環境ではないからである。

海であれ川であれ、人は水の中で呼吸することができない。しかも水によって体の動きが制限され、陸上のように素早くは動けない。おまけに抗うことのできない流れや波もある。そんななかでなにかアクシデント——離岸流に流される、足が攣る、危険生物に遭遇するなど——が起きたときに、えてして人はパニックを起こしやすい。慌てふためいて呼吸を確保しようとするが、暴れたり水を飲み込んだりして、結局は溺れてしまう。それはほんとうに一瞬のことだと思う。「あ、ヤバい」と思ったときにはすでにもう手遅れで、溺れながら意識がすーっと遠のいていく。

私も何度か溺れそうになったことがあるので、そんなシーンがくっきりと脳裏に浮かんでくる。それを想像するだけで、恐ろしくてたまらなくなる。

私が通う沖縄の小さな島でも、シュノーケリングを楽しんでいた観光客が溺れて亡くなるという事故が、知る限り2件あった。いずれも浜から近い、水深はせいぜい膝ぐらいの浅瀬での事故であった。そんな浅いところで、どうして溺れてしまうのかわからないが、それが水の怖さだ。

人間が生きていくうえで、水は必要不可欠なものである。しかし、その中では人は生きられない。山では、人間がそこにいるだけで死んでしまう、酸素濃度が低い標高8000m以上の世界を「デスゾーン(死の領域)」と呼ぶが、海や川も紛うかたなきデスゾーンである。水に囲まれている環境というのは、そのこと自体が大きなリスクなのだ。

水難事故より山岳遭難事故のほうが生存率は高いものの……

さて、水難事故では、溺れて窒息するケースがほとんどであり、死に至るまでの時間は一瞬か、ごくごく短い。だが、山岳遭難事故の場合、険しい岩場で何百メートルも転滑落するような事故を除いては、瞬間的で死んでしまうようなことはほとんどない。

困難な岩登りや氷壁登攀が盛んに行なわれていた1950年代後半から1970年代にかけては、こうした転滑落事故が多発していたが、登山者の志向が大きく変わった今日ではあまり起こらなくなった。なにしろ水中とは違い、山は空気で満たされている。転滑落した際に致命傷さえ免れれば、たとえ動けなくなるほどの重傷を負ったとしても、今日の迅速なヘリコプターレスキューにより、命を落とさずにすむことが多くなった。

昨年の警察庁の統計では、山での遭難者3506人のうち無事救出者は全体の53・4%にあたる1873人で、死者・行方不明者の327人に比べて圧倒的に多い。しかし水難事故の場合、水難者1640人のうち無事救出されたのは665人(全体の40・5%)で、死者・行方不明者の727人よりも少ない。

前述したように海や川よりも山のほうが死亡率は低いのだから、救命率が高いのは当然といえば当然である。もし山で遭難したとしても、瞬間的に死んでしまわないかぎり、生きて帰れる確率は高いので、深刻な状況のなかでも最後まで諦めないほうがいい。

もっとも、道に迷って山中を彷徨い歩いたり、行動不能となる重傷を負うなどして、死の恐怖に怯えながら何日間も救助を待ち続けるのは、それはそれで苦しく過酷なことだと思う。たとえ命が助かっても、後遺症が残ることだってあるし、遭難体験がトラウマになってしまっている人もいる。生還を果たしたからといって、万事がめでたし、というわけではない。

【山岳遭難事故と水難事故の比較(2022年)】

山岳遭難事故
発生件数 遭難者数 死者・行方不明者 負傷者 無事救出者
3,015 3,506 327 1,306 1,873

水難事故
発生件数 遭難者数 死者・行方不明者 負傷者 無事救出者
1,346 1,640 727 248 665

*警察庁の統計より

登山用の〝ライフジャケット〟があれば

海や川では、溺れたら最後、短時間で窒息し、あの世に行ってしまう。だから、いかに溺れないようにするかが生死の分かれ目となる。そのための決定的なアイテムがライフジャケットだ。溺れそうになったときでも、ライフジャケットを着けていれば、浮力が得られ、呼吸ができるようになる。もちろん着用しているからといって必ず助かるというものではないが、救命率は格段に上がるはずだ。海や川でのレジャーやスポーツで命を落としたくないのなら、最低限、ライフジャケットの着用は必須である。

山の場合、残念ながらライフジャケットに相当するようなエマージェンシーアイテムはない。強いて揚げるなら、ツエルト、ヘルメット、ファーストエイドキットなどが思い浮かぶが、ライフジャケットのように事故を未然に防ぐものではない。

そもそも山岳遭難事故の要因は、ほぼ「溺れる」一択の水難事故とは異なり多種多様で、各々の要因に対するリスクマネジメントが必要となってくる。また、事故の大半はヒューマンエラーや認知バイアスによって引き起こされおり、事故防止のためには「注意深く慎重に行動する」「油断しない」といったことが重要だとされているが、それがなかなかできないから事故が増え続けているわけである。

水難事故に比べれば、山岳遭難事故の発生件数や遭難者は断然多いが、死亡率は約1割。単純にいえば、遭難しても10人中9人は助かっていることになる。

だが、万一遭難したときに、生か死かを自分で選ぶことはできない。生きて帰るために最善を尽くしたとしても、もしかしたら1割のほうに入ってしまうかもしれないのは、神のみぞ知るところだ。

そう考えると、やっぱり山も怖い。山で死なないためには、多々あるリスクへの備えを地道にするしかない。

日々もたらされる遭(水)難事故のニュースを見聞きしながら、そんなことをつらつら思ったこの夏であった。

 

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』(山と渓谷社)がある。

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