オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|登山者の常識、マナー、モラルについて考える
各地で相次ぐ残念な出来事
今年の夏山シーズンを前に、白山の甚之助避難小屋で、登山者が水洗トイレにビニールやカップ麺の容器などのゴミを流したために排水管が詰まり、一時は周囲に汚水が漏れ出し、昨年9月下旬から使用できない状態が続いているとの報道があった。ゴミは袋詰めにされたものも含め大小約20個、計1kgほどにのぼったそうだ。
長野県北信地方の飯縄山山頂近くにある携帯トイレブースでも、用を足したあとの便袋が持ち帰られずに放置され、ときには排泄物が床に撒き散らかされるなど、利用マナーの悪化が目に余っているという。
南アルプス・北岳の広河原から白根御池小屋に向かう登山道では、男性が第一ベンチ前で焚火・炊飯したのち、ゴミなどを放置したまま下山した投稿がTwitterに上がり、批判が殺到した。男性は焚火台を使用せず直火で火を起こし、消化もせずに下山したうえ、真新しいメスティンやスプーンなどがその場に捨てられていた。
同じくTwitter上では、谷川連峰の平標山の家の管理人が予約のキャンセルをめぐるトラブルを告発して話題となった。予約を入れたのは、100年以上の歴史を持つ某老舗山岳会に所属する高齢の登山者で、団体パーティでの宿泊を予定していたが、悪天候の予報が出たため予約をドタキャン。予約の受付時に、管理人は「キャンセルの場合、デポジットの返金には応じられない」と説明していたにも関わらず、相手は「そんな話は聞いていない」「一日傘マークの予報が出ているのは台風と同じだ」と言い張り、デポジットの早急な返金を要求してきたそうだ。この件では、事の次第を知った会の会長と副会長が直接小屋まで上がってきて謝罪をし、管理人もこれを受け入れて一件落着となったようだ。
先の雪山シーズン中には、北アルプスの三俣山荘と水晶小屋に登山者やバックカントリー愛好者が不法侵入し、勝手に滞在して小屋内を荒らしていたことが発覚し問題となった。
GWの中央アルプス千畳敷では、21〜51歳の男性4人パーティが、アイゼンやピッケルなどの雪山装備を持たずに「景色のいいところまで行こう」と登山を開始、浄土乗越のあたりまで来たところで行動不能となり、全員が救助されるという遭難騒ぎがあった。
先日、私が出掛けた那須連峰でも、ファミリー登山で来ていた母親がサンダル履きだったので、思わず足元をガン見してしまった。全員、装備はしっかりしていて、父親と子供はちゃんと登山靴を履いていたのに、なぜ母親だけがサンダル履きだったのか、不思議でならない。
登山者の常識やマナー、モラルを疑うこうした残念な出来事は、最近なって目につくようになったわけではない。周囲の者を呆れさせる、もしくは激怒させる〝トンデモ登山者〟は、少数ながらも昔から存在した。
最近のSNSやニュースを見ながら思い出した昔の話を、次にいくつか記す。
自分のミスを他人に責任転嫁
北アルプス南部のとある山で、7月上旬、みぞれ混じりの雨のなかを行動してきた家族連れが山小屋にたどりついたのだが、その夜になって全員が突然体調を崩し、下痢、発熱、嘔吐などを発症させた。それが食中毒そっくりの症状だったので、途中で立ち寄った山小屋で摂った昼食が疑われた。家族連れの親が医者だったことから、彼は自分たちを「食中毒にかかった」と診断し、真夜中に地元の保健所に電話をかけて、「どうしてくれるんだ」と、ものすごい勢いで噛み付いたそうである。
最終的に山岳救助隊員が出動する騒ぎにまで発展し、隊員が山小屋まで登っていって、全員を担ぎ下ろして医療機関まで搬送した。ところが、検査の結果は「食中毒菌は検出されず」。要するに、悪天候のなかで無理して行動したことによる疲れと冷えが原因の体調不良だったのである。
とんだ濡れ衣を着せられた山小屋のオーナーのボヤき顔が、今でも思い浮かぶ。
また、「こんな騒動があったんですよ」と語ってくれたのは、神奈川県秦野警察署の山岳遭難救助隊員。ある年のGW、某大学の探検部のメンバーが丹沢にキャンプをしにきた延長で「ちょっと探検に行こうよ」という話になり、6、7人のメンバーが水無川本谷へと入っていった。
しかし、メンバーのなかで沢登りの経験があるものは皆無。もちろんロープやハーネスなど沢登りの装備もなにひとつ持っていなかった。案の定、沢を遡行している途中で事故が起こる。最後尾の学生が滝を登っているときに握った残置スリングが切れ、墜落して骨折してしまったのだ。
事故発生の連絡を受けた救助隊はただちに現場に急行してケガ人を助け出したのだが、その際にリーダーの言った言葉に隊員らは唖然とした。
「これは警察か市役所が設置したものでしょ。それを信頼して握ったのに切れて落ちてしまったのは、ちゃんと点検していないからだ。どうしてくれるんだ。補償しろ」
もちろんスリングを設置したのは警察でも市役所でもない。残置スリングを使うか使わないかは当事者が判断して決めることであり、それが切れたからといって第三者に責任を転嫁できるものではない。そんなことも知らずに文句を垂れるリーダーに対し、救助隊員はその場で説教を食らわしたという。
だが、この探検部は翌年のGWも同じ過ちを再び繰り返す。前年とまったく同じノリで10人ほどのメンバーが源次郎沢へ入っていき、4つ目の滝のあたりまで来たところで進退窮まり、またしても救助を要請することになったのだ。
現場に駆けつけた救助隊員のサポートにより、学生らは1ビバークののち無事下山することができた。前年と同じグループが同じような状況・経緯で遭難したことに呆れ返り、救助隊員が「君たちの部は去年も事故を起こしているんだぞ」と言ったら、救助された学生のひとりがこう言ったという。
「それは私です」
「今すぐ助けに来い!」という遭難者
もうひとつの事例は、1月の西穂高岳で起きた遭難事故の話。その日は悪天候で風が強く、午後1時に新穂高ロープウェーがストップした。そこへ下山してきたのが、40歳代の単独行の男性だった。ロープウェーが止まっていることを知った彼は、山頂駅の職員が「歩いて下りるのは危険だ」と強く引き止めたにも関わらず、「明日は仕事だから」と下山を強行してしまう。行動の妨げになると考えたのだろうか、ザックは山頂駅に残し、持ったのはピッケル1本だけだったという。
男性が携帯電話で自宅に連絡を入れたのはそれから約2時間後のこと。「動けなくなった。穴を掘ってビバークする」と聞いて驚いた家族は、すぐに警察に通報し、これを受けて岐阜県警の山岳警備隊員が出動することになった。
通常、二重遭難の危険が高いため、夜間の救助活動は行なわれないのだが、このときは無理を言ってロープウェーを動かしてもらい、隊員が現場へと向かった。捜索は、激しい吹雪のなか、微速で動くゴンドラからサーチライトを照らしながら行なわれた。携帯電話でやりとりしながら現場に接近し、ようやく発見した遭難者をゴンドラに収容したのが夜中の2時45分。真夜中にロープウェーのゴンドラから遭難者を救助するというのは、おそらく前代未聞である。
この救助活動中、遭難者は「もう死にそうだ。警察が助けに来るのは当たり前だろ。今すぐ来い」というような言い方をしたという。
関係者の制止を振り切って下山しようとした結果、自ら招いた窮地なのだから、まず反省すべきは自分自身の行動だろう。本来なら翌朝からの救助になっても文句は言えないはずなのに、「助けるのが当たり前」と言い張るのは、厚顔無恥もはなはだしい。
問題行動を起こす登山者にどう対処するか
全登山人口からすれば、ここで触れたような問題行動を起こす〝トンデモ登山者〟は、ほんのひと握りなのだと思う。今はインターネットやSNSを通して瞬く間に情報が拡散し、万人が知るところとなるから、このような登山者が増えているような印象を受けるが、そうでないことを願いたい。
登山を始めたばかりの初心者は、技術が未熟なうえ、山のルールやマナーに疎い。ときに危なっかしい行動をとったり、ルールを守らなかったりするのは、ある程度は仕方がない。それは山に登る人なら誰もが通ってきた道であり、幾度となく痛い目に遭いながら、登山者として成長していくものだと思う。
しかし、初心者ゆえの無知では済まされない問題行動を、確信犯的にとっている登山者は明らかに存在する。彼らには、〝登山者〟以前の〝人〟としての常識、マナー、モラルが欠けている。そんな人たちに一般的な常識論を説いたところで、まったく響かないような気もするが、かといって見て見ぬふりをすれば、周囲の関係者や登山者が嫌な思いをすることになる。SNSなどを見ると、この手の書き込みばかりが目について、ときに気が滅入ってくる。
ダメなものはダメ、間違っているものは間違っていると、毅然と指摘することで教育・指導できるのなら、それに越したことはない。だが、一般常識が通じない者や悪意ある者にはどう対処すればいいのか。今後の山と人との関係をよりよいものにしていくためにも、それを真剣に考えていかなければならない段階にきているのではないだろうか。
羽根田 治(はねだ おさむ)
1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』(山と渓谷社)がある。