オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|富士山で経験した視力障害の原因は低体温症だった

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暴風が吹き荒れていた富士山山頂。他の登山者も小屋の軒下に避難していた

強風下での富士登山

このホームページで本コラムの連載が始まる前、遭難事故防止に関する記事を不定期に寄稿していたが、そのなかに富士山で低体温症を発症した経験について書いた1本があった。概要は、2012年7月に富士宮ルートから単独で富士山に登った際、下山中に風雨に打たれて全身びしょ濡れとなり、寒さに震えながらほうほうの体で下りてきたというもの。山頂に着いたころから雨が降り出したにもかかわらず、「あとは下るだけだから、多少濡れても問題ないだろう」と自分の都合のいいように考え、雨対策・濡れ対策を怠ったのが原因だった。低体温症が進行する前になんとか下山できたからよかったものの、もっと時間がかかっていたら、深刻な事態に陥っていたかもしれない経験であった。

それから5年後の2017年9月、同じ富士山の富士宮ルートで、懲りずにまたしても危うい目に遭ってしまった。このときも単独行で、やはりあまり優れない天気の日であった。登山口に朝早く着き、行動を開始したのが午前6時。天気は曇りだが、西風がかなり強いので、最初から雨具のジャケットを着て登りはじめた。登りながら、「山頂はいったいどれぐらいの風が吹いているのだろうか」と不安になった。元祖七合目あたりでは、風速20メートルぐらいは吹いているように感じられた。途中、頂上から下りてきた登山者とすれ違ったときには、「山頂はものすごい風ですよ」と声を掛けられた。そんな悪いコンディションのなかでも、多くの登山者が登っていたことに、ちょっとびっくりした。

高度を上げるほどに風は強くなり、歩みも遅くなったが、12時過ぎになんとか山頂に到着した。凄まじい風が吹き荒れていて、まともに立っていられない。30〜40メートルは吹いていそうだった。強風に叩かれた体はすっかり冷え切り、肌が露出している手や顔はかじかんで凍傷になるかと思った。
5年前の経験から低体温症を危惧し、閉まっている小屋の軒下で風を避け、ダウンジャケットを着込んで行動食を食べ、そそくさと下山にとりかかる。

下山中に目が霞んでものが見えにくくなる

登ってきたときよりも風はさらに強くなっているように感じられ、風にあおられて何度もよろめいた。バランスを崩して転倒したり捻挫したりするのが怖いので、ほかの登山者がやっているように、登山道の両脇に張られたロープを握りしめながら下りていく。小さな火山礫が強風で巻き上げられ、あたりは一面赤茶けた世界と化していた。
しばらく下っていくうちに、視界に白い霞がかかったようになってきたので、眼鏡が曇ったのかと思って外したみたが、視界は白っぽいままだった。ガスがかかってきたんだなと思い、そのまま降り続ける。しかし、どうも様子がおかしい。視界は徐々に霞んできて、登山道の凹凸や石などがはっきり見えなくなってきた。両目にはゴロゴロした異物感があり、強風で目に砂でも入ったのだろうと思った。とにかく転倒しないように注意しながら、おそらく通常のコースタイムの1.5倍ぐらいの速度でゆっくりと下りていく。

かなり下ってきても風は収まらず、寒さで体は芯まで冷え切っていた。六合目あたりまで来たときに、登ってきたひとりの救助隊員とすれ違った。なにかアクシンデントがあったらしい。その後も数人の救助隊員が登っていき、六合目の山小屋にはテレビの取材スタッフが待機していた。小屋の人の話では、このあたりでも今日は一日中20メートルの風が吹いていたという。その強風のなか、もう日没間近なのに出動していく救助隊員にはほんとうに頭が下がる。
六合目から五合目までは逆光がまぶしく、かろうじてものが薄っすらと見える程度だったので、よけいに慎重になって下りていった。五合目到着は午後5時過ぎ。どうにか日没前に下りることができた。日が暮れていたら、ヘッドランプは持っていたものの、間違いなく行動できなくなっていただろう。

下山してすぐ水で目を洗ってみたが、視力は回復しなかった。携帯の液晶の文字も見えないぐらいなので、車を運転して帰るなんて、とんでもなかった。いろいろ考えると不安になって、救急車を呼ぶことも考えた。しかし、あまり大事にはしたくなった。そこで今晩は五合目で車中泊をして様子を見、明日になっても回復していなかったら、ゆっくり車を運転して御殿場まで下りて、目医者に診てもらうことにした。夜の運転はとても無理だが、明るくなればどうにかなろうだろうと思った。
そうと決まれば、あとはとにかく体を休めようと思い、早々にシュラフの中に潜り込んで暖をとった。外では相変わらず風が吹き荒れており、ときおりヘッドランプを点けた登山者だか救助隊員だかが行き来しているのが見えた。
うとうとしては目を覚ますことを繰り返しているうちに、目が覚めてきてきて、時計を見たら午後10時になっていた。携帯の液晶を見ると、視力がけっこう回復していたので、朝まで待たず、ゆっくり運転して帰ることにした。スピードを出さずに慎重にハンドルを握ること約4時間、夜中の2時ごろ、どうにか無事、家にたどり着くことができた。

登山中に目が見えなくなったのは、今のところこれが最初で最後である。ヒマラヤなどでは、高度障害によって目が見えなくなることがあるという話は本で読んでいたが、富士山の高さでも、そんなことが起きてしまうのだろうか。あるいは、このときもかなり寒かったので、低体温症を発症していたのか。しかし低体温症になって目が見なくなるという話は聞いたことがなかった。結局、なんだか原因がわからないまま、深く追求することなく最近まで過ごしてきた。

下山中に目が霞んでものが見えにくくなる

さて、この古い話をなぜ今ごろ持ち出してきたのかというと、原因はどうも低体温症であるらしいということがわかったからだ。それは、国際山岳医の市川智英氏が開設しているウェブサイト「登山×医療ブログ」にて、今年の2月10日に公開された、「【冬季登山者に警鐘】目がかすむと思ったら要注意! 低体温性視機能障害とは!?」という記事を読んだことによる。
記事によると、市川氏が運営に携わっている赤岳鉱泉山岳診療所では、低体温症によると思われる視力障害をこれまでに5例扱ったそうで、患者が亡くなってしまった例を除き、どの事例も以下の共通点がみられたという。

  • 主症状は「霞み目」「目が霞む」
  • 目の痛みはない
  • 保温・カロリー補給で体温が回復すれば、視力も回復する

私が富士山で経験したことも、まさにこれとそっくりだった。
では、低体温症に陥ると、なぜ目が霞んでしまうのかというと、ごくごく簡単に言えば、「レンズの役割を果たしている角膜が寒さによってむくみ、すりガラスのように白く濁る」ためだという。市川氏の調べでは、医学文献的に「低体温症の症状として視力障害をきたす」と書かれているものはこれまで存在しておらず、彼はこの病態を便宜上「低体温性視機能障害」と仮称した(低体温症によって視機能障害が起こるメカニズムについては、市川氏がさまざまな文献を調べて医学的に推定したものである)。
ほとんど目が見えない状態で山で行動することの恐ろしさは、身をもって体験したので、市川氏が唱える低体温性視機能障害は実在するものと、私は信じる。

記事のなかでは、発症のメカニズムや対処法などについて、より詳しく解説されている。誰にでも起きる可能性がある病態なので、ぜひ一読していただきたい。
https://tozan-medical.com/hypothermic_visual_impairment/

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』『ドキュメント 生還2 』『あなたはもう遭難している』(山と渓谷社)がある。

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