オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|山で出会った他人といっしょに行動するリスクについて

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同行者を現地調達する登山者

半年ほど前の話になるが、仕事の関係で40代の女性にお会いして話を伺う機会があった。彼女は10年ほど前から登山を始め、独学で知識や技術を学び、都市近郊の低山から北アルプスなどの高い山まで、四季を通して登山を楽しんでいる。そして山行の大半は単独行だという。他人に気を遣いながらいっしょに行動するよりも、人の目を気にすることなく自分らしく振る舞える単独行というスタイルが、彼女にはいちばんしっくりくるのだろう。
その彼女の話のなかで引っ掛かったのが、「山でやはり単独行の女性から『いっしょに登りませんか』声を掛けられることがちょくちょくにある」ということだった。
「同じ女性で、私もひとりだから、声を掛けやすいのでしょう。たぶんひとりで登るのが不安なんだと思います。もちろんお断りするんですけどね」
とりわけ彼女が驚いたのは、動向を申し出てきた歳のころ40代ぐらいの女性が、「いっしょに登ってくれる人を現地調達する。いつもそうやって山に登っている」と言っていたことだ。「それを聞いてドン引きしました。名前も知らないし、技術レベルや体力レベルがどれぐらいなのかも全然わからない。そういう人といっしょに山に登るなんて、絶対にありえません。怖すぎます」

彼女のそんな話を聞いて、2年ほど前に検証した遭難事例を思い出した。ある年の2月初旬、登山歴13年の50代女性が、福岡県・英彦山の西側中腹にかかる四王寺の滝を見に行くため、単独で登山を開始した。しかし、滝のそばまで来たところで道に迷い、正しいルートを探している最中に滑落し、行動不能に陥ってしまった。幸い近くを通りかかった登山者がいたため助けを求め、ヘリコプターで救助されたが、全治2ヶ月の重傷を負ったのだった。女性は英彦山に何度か登っていたが、積雪期に登った経験はなく、たどろうとしたルートも初めてだったため、ひとりで歩くことに不安を感じ、登り出す際にほかの男性単独登山者に同行をお願いしようかと思ったそうだ。結局、そうはしなかったが、不安を抱えたまま登山を決行したことが、事故につながってしまったように思う。
参考=https://yamap.com/magazine/59834

冒頭の女性の話を聞き、また英彦山の事例を検証して、驚きを感じずにいられないのは、まったく見知らぬ他人に登山の同行を申し出ることに怖さを感じないのだろうか、ということだ。もしその人が経験豊富な登山者であれば、行動中に自分が足手まといとなり、途中で見捨てられてしまうかもしれない。逆に山を始めたばかりの初心者だとしたら、頼るつもりだったのに頼られ、不安が倍増した危なっかしい状態で登山を続けることになってしまう。そもそも、そうした登山のスキル以前に、性格や人間性がわからない他人に依存しようとする気持ちが理解できない。「山好きに悪い人はいない」なんていうのは戯言であり、ヤバい人やおかしな人は一定数存在する。もしそんな人といっしょに山に登ることになっても、「ひとりで登るよりは安心」と思えるのだろうか。

にわかパーティが命取りになることも

とここまで書いて、もうひとつ思い出した話がある。岐阜県警山岳警備隊が訓練で北アルプスの西穂高岳から奥穂高岳の稜線を縦走し、その晩は穂高岳山荘に泊まって、翌朝下山しようとしていたときのこと。「ロバの耳で滑落事故発生」という一報が飛び込んできたため、ただちに隊員が現場へと急行したが、残念ながら遭難者はすでに亡くなっていた。遭難者には同行者がひとりいたため、話を聞いたところ、2人はどちらもひとりで山に来ていたが、前日宿泊した山小屋で出会い、酒を酌み交わしているうちに意気投合し、「いっしょに西穂高岳まで行こう」という話になったそうだ。要するに単独行者同士によるにわかパーティで、一般登山ルートとしては最難とされる奥穂高岳〜西穂高岳の縦走路をたどろうとしたわけである。
同行の男性は、まだ事故の生々しさが残る現場で事情聴取する隊員に、こう言ったという。
「早く西穂まで行きたいので、もういいですか」
その隊員は、その時の気持ちをこう語っていた。
〈前日まで見知らぬ者同士だったとはいえ、人がひとり亡くなっているというのに、自分の予定を優先させようとする神経が、私にはちょっと信じられなかった〉

同様の事例では、2023年2月に南アルプスの甲斐駒ヶ岳で起きた事故がある。単独で黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳を目指した46歳の男性が、宿泊した七丈小屋でやはり単独行の若い男性と知り合い、翌日、いっしょに山頂へ向かうことになった。しかし、行動を開始して間もなく、若者が10mほど滑落。それを助けようとした男性が約400m滑落し、命を落としてしまった。若者は木にぶつかって滑落が止まり、自力で小屋まで引き返した。亡くなった男性は10年以上の登山歴があったが、若者は登山歴も雪山経験も浅かったようだ。
参考=https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5200820.html

これらのケースとはちょっと異なるが、日帰りの予定で鈴鹿山脈の御池岳に登って遭難した44歳の男性Aは、その壮絶な体験を登山コミュニティサイトにアップしたことから、ネット上で〝伝説の遭難者〟と呼ばれ、ちょっとした有名人になった。
2012年7月、Aは単独で御池岳へ向かったが、スタート時間が遅かったため山頂まで行き着けず、引き返す途中で道に迷っていたソロの中年男性Bに出食わした。成り行き上、ふたりはいっしょに下山をはじめたものの、歩きながら話に夢中になり、いつの間にかルートを外れてしまった。その日は山中でビバークし、翌日は何度も登り下りを繰り返して山のなかを彷徨い歩いた。終始、先行していたAは、疲労や焦りから幻覚・幻聴を見聞きするようになり、そんなAに愛想を尽かしたBはAを見捨てて姿を消してしまう。Aはひどい幻覚に苛まれながら彷徨と停滞を繰り返し、遭難して6日目にとうとう力尽きて動けなくなってしまった。その状態で死を覚悟していたとき、家族からの依頼を受けた捜索隊が、Aを発見し、間一髪のところで助けられたのだった。ちなみにBは自力で下山を果たしていた。また、Aは翌年11月に単独で御在所岳を登山中に滑落し、還らぬ人となった。

山で出会った見知らぬ人といっしょに行動しようとするのは、ひとりで山に登ることへの自信のなさと、他人に依存したいという心理の表れにほかならない。しかし、登山のスキルも人となりもまったくわからない人と即席パーティを組むと、どんなトラブルや厄介ごとが起きても不思議ではなく、双方にとって非常にリスキーなことである。それをするくらいなら、最初から単独行なんてしないほうがいい。というか、そういう人は単独行には向いていない。まずは信頼できる山仲間をつくることから始めるべきだろう。そして山で見知らぬ人から同行をお願いされても、安易に受け入れるのではなく、きっぱりと断るのが賢明だと、私は思う。

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』『ドキュメント 生還2 』『あなたはもう遭難している』(山と渓谷社)がある。

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