オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|想像を超える自然現象への対処ーー『41人の嵐』を読んで
台風10号の経路図(気象庁ホームページより)
台風接近中の南アルプス両俣小屋で
1982(昭和57)年は全国的に梅雨入り・梅雨明けとも例年より遅く、7月10日から20日にかけて、西日本のところどころでは一日の降水量が100㎜を超える大雨となっていた。さらに23〜25日にかけて低気圧が相次いで西日本を通過、梅雨前線の活動が活発化し、長崎県では1時間に100㎜を超える雨が続くなど記録的な豪雨となった。
これにより各地で崖崩れや土石流が発生し、長崎県内では584棟の家屋が全壊、1万7909棟が床上浸水するなどの被害が出たほか、死者・行方不明者の数は299人にもおよんだ。長崎県を中心に甚大な被害をもたらしたこの大雨を、気象庁は「昭和57年7月豪雨」と命名した(長崎大水害などと呼ばれこともある)。
さて、九州が大雨に見舞われていた最中の7月24日、日本の南東海上では台風第10号が発生した。台風は発達を続けながら北西へと進み、勢力が最大となった29日には中心気圧900hPa、最大風速65m/sまでに発達し、1977年以降で10番目に大きな台風となった。
そして8月2日の0時ごろ、台風は渥美半島に上陸し、同日早朝には富山湾から日本海に抜けて温帯低気圧に変わった。上陸している時間は短かったものの、中国・四国地方東部から東北にかけての広い範囲で大雨となり、近畿から東北にかけては暴風も吹いた。
7月豪雨の余韻も冷めやらぬなかでの台風接近・上陸であり、近畿・北陸・関東で被害が大きく、全国の死者・行方不明者は95人となった。なお、この年の関東甲信地方の梅雨明けは、台風が去った8月4日ごろであった。
台風10号が上陸する前日の8月1日夜、南アルプスの野呂川上流部に位置する両俣小屋には、5パーティ33人が停まっていた。小屋の中には大学ワンダーフォーゲル部の3パーティと社会人山岳会の1パーティがテント場から避難してきており、テント場には大学ワンダーフォーゲル部1パーティだけが頑張って幕営を続けていた。
彼らを取りまとめていたのは星美知子さん。前年7月から両俣小屋を切り盛りするようになった女性管理人である。
雨は7月31日の午後から降り出したようで、1日は終日、強い雨が降り続けた。屋根を激しく叩く雨音を聞きながら、夕食後から小屋の中ではストーブを囲んでの宴会が始まった。またあるパーティはトランプに興じ、別のパーティは早くもシュラフに潜り込んでいた。
しかし、宴会がお開きになり、「そろそろ寝ようか」となった午後11時過ぎ、小屋の表戸を開けて外を見た男性客が驚嘆の声を上げた。
「わあ、すごい、小屋の前が川になっている。すごそこが川だよ」
それを聞いた星さんが『しまった!」と思いながら表を見ると、知らぬ間に小屋の1m先まで濁流が迫っていた。目の前の信じられない光景に、彼女は大声で「みんな起きて! 小屋が危ない! 裏山へ避難だ!」と叫んでいた。
一難去ってまた一難。容赦ない自然の仕打ち
迫り来る巨大台風の猛威に晒されるなか、両俣小屋に泊まっていた登山者と管理人の星さん、そして幕営したパーティはどう行動し、どんな結末を迎えるのかーーそれを星さんの視点で記録したのが『41人の嵐』である。本書は1984年に刊行された自費出版本であるが、2024年7月に文庫本として山と溪谷社から復刻され、多くの人の目に止まることになった。
私はかなり以前に自費出版本を読んでいたが、恥ずかしながら記憶に残っているのは「そんな大変なことがあったんだ」といった程度の読後感だった。しかし、このたび復刻版を再読して、この記録からは多くの教訓が学べることに今さらながら気づかされた。
どんな教訓が得られるのかは人それぞれだと思うので、ぜひ本書をひもといていただきたい。ちなみに私が学んだ教訓のなかで最も深く刺さったのは、〝人間の想像は起こりうる自然現象をなかなか超えられない〟ということだった。
台風が接近する1日の夕方、星さんはラジオを聴きながら天気図をとった。
〈大型で強い台風十号は、真っすぐ北上を続けており、今夜半には渥美半島付近に上陸、そのまま北上し、明朝には日本海に抜ける見込みであるとラジオは告げる。大型で強い台風というものがどの程度のものなのか小屋番には見当がつかない。風速三十メートルと言っても実感がわかない。影響を受ける範囲が広く、風雨が強いということぐらいしか思い浮かばない。抽象的にしかわからないのであった。(中略)台風が通過した後は、青い空と目も眩むような太陽が残ると相場は決まっている。明日は絶好の天気になるに違いない、と小屋番が思うのは明日のことばかりであった〉(『41人の嵐』より)
だが、雨が上がる前に小屋は流失の危機に瀕し、全員が着の身着のまま裏山に逃げ出した。真っ暗闇のなかで強い雨に打たれながら、星さんはおのれの油断、見通しのアマさ、判断のまずさ、後手後手に回った対応などを悔やみ、自分自身を責めた。
翌朝9時過ぎになってようやく雨は止んだ。台風は南アルプスから遠ざかり、夕方には日本海に抜けていた。両俣小屋もかろうじて倒壊を免れており、風雨をしのげる小屋の中で体を休めることができた。最悪の状況は脱したものと、誰もが信じて疑わなかった。
しかし、夜中になって再び雨が降り出した。前夜の大雨で南アルプスのあちこちでは大きな被害が出ていた。そこへ追い打ちをかける非常な雨だった。両俣小屋にも再び危機が迫りつつあった。
〈小屋番は、次々に起こってくる不測の事態を目のあたりにして、頭の中がごちゃごちゃになりそうであった。大自然の仕打ちは徹底していた。息つく間も与えないような早さで次々と仕掛けてくる。おのれの未熟さ、怠慢が後悔となって濁流とともに断続的にやってくるが、今はそんな感傷的なことに浸っていることはできない〉(『41人の嵐』より)
星さんは自分の失敗を悔やみ、同じ過ちを繰り返さぬよう対策をとろうとする。ところが、それを嘲笑うかのように、自然は人の想像を超えた非常な刃を振り下ろす。『41人の嵐』からは、自然が凶暴な牙を剥いたときの恐ろしさが臨場感を以て読者に伝わってくる。その真っ只中では、人は為す術のない非力な存在であることも、本書を通して思い知らされる。
「不足の事態も起こりうる」という覚悟を持つ
このようなケースはそうそうあるわけではないが、登山が自然をフィールドとしている以上、自分が荒れ狂う自然のなかに居合わせてしまう可能性をゼロにすることはできない。
本書を読み進めながら私が思い起こしていたのは、2014年9月27日に起きた御嶽山の噴火である。この自然災害では、死者58人、行方不明者5人、重傷者29人、軽傷者40人という大きな被害を出した。当日は紅葉シーズンが始まった好天の土曜日で、大勢の登山者が御嶽山を訪れていた。しかも噴火時刻はちょうどお昼どきで、山頂周辺でランチを楽しんでいる登山者も多かった。実は御嶽山の剣ヶ峰山頂付近では、2週間ほど前から火山性地震が増加していたが、その後、小康状態となり、火山活動が活発化した兆候も見られなかったため、噴火警戒レベルが引き上げられることはなかった。
この日、御嶽山を訪れていた人のなかで、「もしかしたら噴火するかもしれない」と思っていた人が、いったいどれぐらいいたのだろうか。
もうひとつ頭をよぎったのは、北アルプル槍平での雪崩事故だ。あと30分ほどで新しい年を迎えようとしていた2007年12月31日の夜更け、奥丸山北側斜面で雪崩が発生し、その末端は冬期小屋のある槍平にまで達した。当時、小屋周辺には数パーティが10張前後のテントを張って幕営していたが、そのうち社会人山岳会パーティのテント2張が埋没し、テント内で就寝していた4人が還らぬ人となった。
槍平は古くから冬の槍ヶ岳の登山基地となっており、つまりはセーフティゾーンだと考えられていた場所である。そこへ雪崩が押し寄せてきて死者を出したことに、誰もが「まさか槍平で……」と言葉を失った。救助関係者でさえ半信半疑の様子だったから、もちろん当事者らは誰も雪崩事故が起きることなど考えもしなかっただろう。
我々が山に向かうとき、多かれ少なかれ、そこにどんなリスクがあるのかを想定し、それらによって大きなダメージを負わないようにリスクマネジメントを行なう。だが、ときに自然は我々の想像を遥かに超えて猛威を振るう。避難した山小屋が流されそうになったり、登っていた山が突然噴火したり、安全だとされる場所に張ったテントが雪崩に埋まったりすることを、事前に想定できる人は、ほとんどいないと思う。そもそもそんなことまで考えていたら、恐ろしくてとても山になんて行けはしない。
登山にリスクマネジメントは必要不可欠であるが、滅多に起きない自然現象を想像することには限界がある。リスクマネジメントはそれまでの経験をもとに構築されることが多いから、起きていない事象に備えるのはなかなか難しい。
ただ、覚悟だけは持っていたほうがいいと、『41人の嵐』を読んで思った。自然のなかに身を置いているときには、自分たちの想像を超えるなにかが起きても、ちっとも不思議ではないという覚悟を。
それがあったとしても、万一、天変地異的な事態に直面したときには、なにも変わらないのかもしれない。ただ、漠然とでも覚悟を持つことで、〝生〟への執着はより強くなるのではないか。そんな気がするのは私だけだろうか。
『41人の嵐』(桂木優 ヤマケイ文庫)
羽根田 治(はねだ おさむ)
1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』『ドキュメント 生還2 』(山と渓谷社)がある。