オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|登山者必読!長野県警がウェブで公開した遭難事故の検証レポート

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冬の赤岳(写真:長野県警山岳遭難救助隊)

年末に起きた単独行者による権現岳での滑落事故

昨年12月25日、八ヶ岳連峰の権現岳の山頂付近で、単独行の男性登山者(24歳)が滑落し、長野県警のヘリで救助されるという事故が起きた。男性はこの日、三ツ頭登山口(天女山登山口)から入山して権現岳に登頂したものの、その後、積雪に足を滑らせて約10m滑落してしまった。幸いケガはなかったが、登山道に戻れなくなってしまったことから、午前9時過ぎに救助を要請したという。男性に冬山の登山経験はなく、装備も不充分だったそうだ。

以上は事故を報道したテレビニュースからの情報で、我々が受け取れるのは、「24歳の単独行男性が権現岳の山頂付近で滑落し、ヘリで救助された」という、ごく大雑把な事実だけである。ほかにも地方紙がこの事故を報じていたが、もっと簡潔な内容であった。

この報道を見た人は、どんな印象を受けるだろうか。

「冬山は危ないから、行かないほうがいいね」

「やっぱり単独行は危険だよな」

「ケガもしていないのに、なんで登山道にもどれなくなってしまったんだろう?」

「装備が不充分? ピッケルやアイゼンを持っていなかったのかな?」

といったところが、大方の受け取り方かと思う。あるいは、「危険を承知で行っているんだから、救助なんか要請するな」「ヘリでの救助費用を本人に請求しろ」と、ここぞとばかりに自己責任論を唱える人も少なくないだろう。

さて、年が明けた1月中旬、長野県警はWebサイト上の「山岳情報」のページに、この事故についての詳細な検証レポートをアップした。

それによると、遭難者の男性は夏山2年程度の登山歴があり、かねてから冬山登山にも興味を持っていたことから、インターネットなどで情報を集めて、今回の権現岳登山を計画したとのことである。山梨県側の天女山登山口から入山したのは24日は深夜で、事故の発生は翌25日の午前9時ごろ。権現岳の山頂を過ぎたところにある、長いハシゴを下っているときに、約10メートル滑落してしまったという。下る際、雪が付いて凍っていたハシゴは使用せず、ハシゴの横を降りていたときに足を滑らせ、尻餅をついた体勢で滑り落ちたそうだ。アイゼンは装着していなかった。

ケガはなかったものの、男性は自分の技量ではその場から登山道に登り返せないと判断し、携帯電話で救助要請をした。通話は途中で切れてしまったが、現在地の位置情報を伝えていたため現場が特定でき、出動した県警ヘリによって救助されたのだった。

明らかになった驚愕の事実

その後の事情聴取により、計画や装備、行動経過などが明らかになるのだが、なにより驚いたのはその計画である。テレビ報道からは権現岳を日帰りで往復するつもりだったのだろうと思っていたが、そうではなかった。

提出された登山計画書によると、1日目の宿泊予定地は高見石小屋まで。つまり、24日の深夜に入山したのち、三ツ頭を経て権現岳に登頂後、赤岳、横岳、硫黄岳と八ヶ岳南部の主稜を縦走し、さらに根石岳、天狗岳、中山峠と北八ヶ岳の稜線をたどり、高見石小屋まで行くつもりだったのだ。

この計画について、レポートでは次のように指摘している。

〈この行程は、無雪期の標準的なコースタイムで約16時間、水平距離は21km、累積標高差 は、登り約3400m、下り約2300mという、かなりボリュームのある内容で、相当山歩きに慣れた健脚者でなければ夏でも歩き通すことは厳しい行程です〉

冬山登山の経験がなく、登山経験も2年ばかりの初心者が、どうしてこのような計画を思いついて実行に移そうとしてしまうのか、不思議でならない。しかも男性は、「アクシデントがあった場合は引き返すことしか考えていなかった」 「そもそも途中で別のルートから下山することを考えていなかった」そうである。無謀としかいいようがない計画を、「できる」と思い込んでいたところがまた恐ろしい。

びっくりさせられたのは計画だけではなく、装備についてもだ。前述のとおり、男性は滑落時にアイゼンを装着していなかったが、携行はしていたという。ただし、6本爪の軽アイゼンである。岩と氷雪がミックスした南八ヶ岳の冬の稜線を歩くのに、6本爪アイゼンとというのはありえない。少なくとも前爪のある10本爪以上のアイゼンが必要となる。それもただ装着すればいいというわけではなく、斜面の状況に適応した歩行技術(アイゼンワーク)も要求される。男性がピッケルを所持していたかどうかは不明だが、ピッケルワークにしても同様である。

また、男性はヘルメットを持ってきていたが、滑落時には装着していなかった。いったいなんのためのヘルメットだったのか。それでケガひとつ負わなかったのは、奇跡としかいいようがない。

食糧にいたっては、所持していたのはゼリー飲料2個とチョコバー3本のみで、ほかにペットボトルの水(1・5ℓ)があるだけだった。その食料も、入山した夜中にほぼ食べてしまい、救助されたときに持っていたのはチョコバー1本と凍りついたペットボルトの水だけだった。食料が足りないことは本人も自覚していたが、「せっかく来たんだから」「高見石小屋で食べれば大丈夫」と考えて、行動を続けたそうだ。

救助要請をしたときに位置情報を正確に伝えられたのは、スマホの地図アプリを見たからだが、通話途中でバッテリーが切れてしまった。男性はモバイルバッテリーも持っていたものの、接続ジャック部に雪が入ってしまったためか、寒冷環境下で容量が低下したためか、充電できなかったという。

なお、男性は登山計画書は提出しておらず、家族とも共有していなかった。ただ、友人には計画を知らせていたが、もし遭難して自分で通報できなかった場合、「最悪、発見されずに行方不明になっていた可能性もあった」と警察は指摘している。

事例から教訓を得て事故防止に繋げる

というわけで、長野県警が公開した検証レポートでは、事故を詳細に検証することで、さまざまな問題点を浮き彫りにしている。警察がここまで詳しく遭難事故を検証して、その結果を公にするのは、おそらくこれが初めてだと思う。このレポートは以下にアップされているので、ぜひチェックしてみていただきたい。

「山岳遭難の現場から〜Mountain Rescue File〜」
https://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/documents/resucue1-r601.pdf

今一度、冒頭で挙げたテレビニュースと読み比べてみると、情報量に雲泥の差があるのは歴然であり、受ける印象もまったく違ってくるのではないだろうか。テレビや新聞などが報じる遭難事故のニュースは、どうしても概要的なものにならざるをえず、これほど詳細な内容は、特集でも組まれないかぎり望むべくもない。しかし、どんな遭難事故であっても、事故が起きた経緯や背景を検証することによって多くの教訓を得ることができ、それらは登山者にとって事故防止のための非常に有益な情報となる。

ちなみに、このレポートのなかには次の一文がある。

〈救助完了後にAさん(注:遭難者の男性)に聞き取りを行ったところ、計画や事前準備段階で多くの問題を抱えていることがわかりました。別の言い方をすれば、入山前に既に遭難しているとも言えるような非常に危うい登山をしている状況が明らかになりました。しかし、これらはAさんのみの問題ではなく、私たちが接してきた最近の登山者や遭難者に共通する問題とも言える内容でした〉

長野県警は、「山岳遭難の現場から〜Mountain Rescue File〜」の第2弾として、この正月明けに中央アルプス宝剣岳で起きた遭難事故のレポートを2月にアップしている。登山者必見のレポートが、今後、定期的に公開されることに期待したい。

また、このような、事故から得られる教訓を広く共有して事故防止に役立たせる取り組みは、もっとあっていいと思う。山岳遭難事故防止に関わるほかの関係機関も一考してみてはいかがだろうか。

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)、『これで死ぬ 』(山と渓谷社)がある。

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