【新連載】オサムの“遭難に遭う前に、そして遭ったら”|コロナ禍で増えた「入山前遭難」

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プロアドベンチャーレーサー 田中陽希さんの「安全登山への道」シリーズは大好評のうちにいったん終了しました。今後、インターバルをいただいてまた執筆をお願いしたいと考えております。
さて、続いての掲載コラムは山岳ライター 羽根田 治さんの新シリーズです。
羽根田さんのライフワークである山岳遭難防止と捜索救助活動についての、豊富な取材経験の基づく数々の示唆に富む記事です。
山に行く前、そして下山してから一読していただきたい原稿です。
どうかご一読お願いします。

日本山岳救助機構(jRO:ジロー)合同会社 若村 勝昭

コロナ禍で増えた「入山前遭難」

長野県山岳遭難防止アドバイザーとして

僭越ながら、2013年より長野県からの委嘱により、山岳遭難防止アドバイザーという肩書きをいただいている。その主な活動は、山岳関係団体などの要請に応じ、講師として安全登山講習を行なうことである。
正直なところ、大勢の人前で話をするのは苦手で、いまだに上手に話せないが、それでも自分がこれまでに取材してきた遭難事故の検証が、少しでも事故防止の役に立つのならと思い、年に何度かは人前に立って話をする。
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大により、密になる講演・講習などが行なわれなくなり、ここ2、3年ほどはアドバイザーとしての出番はまったくなかった。2022年になってようやくさまざまな行動制限が緩和され、秋にはある安全登山講習会において、久しぶりに人前で話をすることができた。
アドバイザーとして講演や講習を行なうときには、原則的に長野県の山岳安全対策課が作成したスライド資料をもとに話を進めることになる。今回も講演前に資料が送られてきたので、なるべくスムーズに話ができるようにと、事前に何度か目を通しておいた。

事前の準備や下調べをもうちょっとしっかりしていれば

その資料を見て印象的だったのは、聴衆に「登山に対する意識改革」を強く訴えようとしていることだった。簡単に言ってしまえば、「登山は単なるレジャーでもスポーツでもない。リスクを伴う冒険的な行為であるとの意識を持ってほしい」ということだ。
その根拠として同課は、事前の準備や下調べをもうちょっとしっかりしていれば、防げていたであろう遭難が多いことを挙げる。たしかにいつの時代でも、綿密に計画を立て準備万端整えて山に向かう登山者がいる一方で、ほとんど下調べや準備をせずに、「行けばなんとかなるだろう」といった軽い気持ちで出かけてしまう人も一定数存在する。
とくにそれが顕著になったのがコロナ禍だ。「県境を越えた移動自粛」や「三密回避」が叫ばれたなかで、近隣の低山やキャンプ場には、にわかハイカーやキャンパーがこぞって押しかけ、遭難事故の増加やマナーの悪さなどが問題になった。行動制限がなくなった2022年は多くの人が山に繰り出し、全国各地の山で遭難事故が多発したが、そのなかには思わず呆れてしまうような事故も少なくなかった。

登山に対する〝認識の甘さ〟があるのでは

たとえば福岡県の犬鳴山では、仲間3人と入山した73歳の男性が、「疲れたからここで救助を待つ」といってひとり別行動をとり、2日後に発見・救助されるという事故があった。
静岡・山梨県境の長者ヶ岳で道に迷って助けられた単独行の50代男性は、入山時刻が午後2時半ごろだったうえ、最初から登山口を間違えていた。
笹ヶ峰登山口から単独で頸城山塊の火打山を目指した80代男性は、中間地点のあたりで登頂を諦め下山を開始したが、途中で足腰が動かなくなり、ほかの登山者や警察・消防の救助隊員らに救助されてどうにか下山することができた。そのほか、常念岳や燕岳、前穂高岳、平標山などでも、「疲労で歩けない」という救助要請が相次いだ。
とりわけひどかったのが夏の富士山だ。「疲れて動けなくなった」「足が痛くなって歩けない」「転んでケガをした」「どこにいるのかわからなくなった」など、毎日のように事故が起こり、日によっては一日に数件もの救助要請が地元の警察に入るほどだった。
登山者の意識改革を訴える長野県山岳安全対策課は、近年の遭難の傾向や実際の事例から、「共通していえるのは、登山に対する〝認識の甘さ〟があるのでは」と指摘している。言い方を換えれば、「山を甘く見る」「山をナメている」ということになろうか。それは長野県にかぎったことではなく、全国の山で見られる現象のように思う。

登山はリスクを伴う冒険的な行為であるという認識

登山を始めたばかりの初心者に、知識や技術が不足しているのは当然のことであり、どんなに経験豊富な登山者にも、かつてはそんな時期があった。ただ、初心者であれベテランであれ、欠いてはならないのは、前出の「登山はリスクを伴う冒険的な行為である」、という認識だろう。というのも、重い荷物を背負って起伏のある道を長時間歩き続ける登山は、体に大きな負荷のかかる行為であり、山にはたくさんのリスクが潜んでいて、対処を誤れば命取りになることもあるからだ。
たとえば、「ここで足を滑らせたら一巻の終わりだな」とか、「このあと天気が崩れてきたら、かなりヤバいぞ」といったような場所や状況が、山にはあちこちにある。それは山の経験が少なくても、ちょっと想像力を働かせれば理解できるはずだ。もちろん、その認識を持っていても、トラブルやアクシデントを防ぐことはできない。しかし、最悪の事態を回避できる可能性は高くなる。
問題なのは、その認識を持てない人たちである。黙々と山を歩き続けるだけの登山は、ほかのレジャーやスポーツと違って、なにか特別な技術を新たに習得する必要はなく、誰にでもすぐ始められそうに見える。そうしたハードルの低そうなイメージから、「与し易し」と考えてしまうのだろうか。テレビやYouTubeなどで流される「健康的」「美しい景観」「達成感」「爽快感」「癒し」といったイメージばかりが先行し、山に潜む数々のリスクのことを考えられない人たちが、昨今、増えているように感じる。
登山は、ただ長時間歩けばいいというものではなく、さまざまなリスクを回避するために学ぶべきノウハウがたくさんある。しかし、最初からそのリスクのことがすっぽり頭から抜け落ちてしまっているのだから、対処のしようがない。長野県が唱えるように、意識を変えてもらうしかないと思う。

「入山前遭難」という言葉の意味

長野県山岳遭難防止対策協会講師の丸山晴弘氏は、認識や準備の不足などにより、入山前の段階ですでに遭難する可能性が極めて高い状態のことを「入山前遭難」と名付けた。意味的には「遭難者予備軍」という言葉と同じだろう。
ろくに下調べもせず、装備も不充分なまま、「大丈夫、なんとかなるから」と安易に山に入ろうとする、この〝入山前遭難者〟は、前述したように、近年目立つようになっている。それはなにも初心者に限ったことではなく、ある程度の経験を積んでいる、いわゆるベテラン登山者のなかにも散見される。山に慣れているがゆえ、油断や慢心が生じ、リスクに対して鈍感になってしまうのだろうが、そこに落とし穴がある。
よく言われるように、山では死なない程度に痛い目に遭うことが、登山者を成長させることにつながるのはたしかだ。だが、それも命あってこそのこと。リスクに対する備えがまったくない状態で危機に瀕し、成長する間もなく死んでしまったのでは元も子もない。

リスクを認識し、マネジメントを行なった先にこそ、登山の楽しみや喜びは存在する

これまでさまざまな媒体で繰り返し述べてきたので、「また同じことを」と思われるかもしれないが、それでもあえて、ここでも紹介させていただく。クライミングインストラクターで山岳ガイドの菊地敏之氏の、以下の言葉である。
〈結局のところ「危険」が最も危険なのは、その危険を察知できないことにある。問題なのは、なにが危険なのかわからない、危険をシミュレーションできない、危険なことを危険なことだと考えられない、ということなのだ〉(東京新聞出版局刊『最新クライミング技術』より)
登山が「リスクを伴う冒険的な行為である」ということは、「些細なミスが死につながることもある」ということを意味する。これは、ハイキングであってもクライミングであっても雪山登山であっても変わりはない。だから初心者には、菊地氏のこの言葉をまず肝に銘じていただきたい。リスクを認識し、そのマネジメントを行なった先にこそ、登山の楽しみや喜びは存在する。
くれぐれも入山前遭難には陥らぬように。

羽根田 治(はねだ おさむ)

1961年埼玉県生まれ。那須塩原市在住。フリーライター、長野県山岳遭難防止アドバイザー、日本山岳会会員。山岳遭難や登山技術の記事を山岳雑誌などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続ける。『ドキュメント 生還』『人を襲うクマ』『山岳遭難の傷痕』(以上、山と渓谷社)など著書多数。近著に『山はおそろしい 』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか』(平凡社新書)がある。

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田中陽希と学ぶ jROの山岳遭難対策制度