羽根田治の安全登山通信|安易か否かは自分がいちばん知っている

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皆様、はじめまして。このたび本稿を担当することになったライターの羽根田と申します。ここでは主に、執筆テーマのひとつとしている山岳遭難事故についてのあれこれを書きつづっていきたいと思っています。しばらくのお付き合い、よろしくお願いいたします。

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さて、第一回目は、昨年末に起きた遭難事故について。これは、昨年の大晦日、大分・宮崎県境の祖母山を登山中の男性(35歳)が、「雪を掻き分けて 歩いてきたが、体力がなくなったので救助してほしい」と携帯電話を通じて救助を要請し、1月2日に宮崎県の防災ヘリで救助されたというもの。新聞報道によ ると、遭難者はテントや食料を携行しており、救助要請後はテントの中でじっと救助されるのを待っていたという。救助後、遭難者はマスコミに対し、「予想し ていた以上に雪がひどくて、これ以上どうしても先に進めないという状況に陥ってしまった」とコメントしている。

 

この報道を見て思ったのは、どうにか自力で下山できなかったのかということだ。遭難者は道に迷ったわけでも、ケガをしていたわけでもない。テントも 食料もあり、携帯電話で連絡もとれる状況なのだから、下山が遅れることを伝えたうえで幕営して体力の回復を図り、下山にとりかかることも可能だったように 思う。

ただ、ではこの救助要請が妥当なものではなかったのか、言葉を替えれば安易だったのかというと、なかなかそうも言い切れない。第三者が「そりゃあ安 易でしょ」と思ったとしても、当事者は生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれているように感じていたかもしれない。そのへんの捉え方は、スキルや経験値など によって大きく違ってくるものだ。

 

また、軽症(傷)に見えるケガや病気を理由に救助を要請したことが非難されたとしても、それが絶対に重篤化しないという保証はひとつもない。私の知 人のなかには、登山中に足首を痛め、捻挫だと思って痛みを我慢して3時間以上歩き続け、下山してきて病院で診察を受けたら骨折していたという苦い経験を持 つ者がいる。結局、彼女は2度に渡って手術を受けるハメになり、完治までに長い時間がかかることになってしまった。

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そうしたことを考えると、ある程度、大事をとって早い段階で救助要請するのは仕方がないことだと思う。かつては、「最近は安易な救助要請が増えてい る。ケシカランことだ」と言っていた救助隊員も、今では「安易か安易じゃないかの判断は難しい。救助要請があった以上、それがどんなものであれ、我々は出 動する」と言うようになってきている。その結果、何事もなく済んだのなら善しとするのが、今の考え方だ。

 

山でがんばりすぎて窮地に陥ってしまうのは、まして命を落としたり予後が長引いたりしてしまうのは、決して賢明な判断とはいえない。間違いなくヤバくなりそうだと思ったら、無理をせずに救助を要請するのがいいに決まっている。

 

でも、だからといって、なにかトラブルが起きたときに自分で解決しようとせず、すぐに他人に助けを求めてしまう登山者に、少なくとも私は共感を持ち 得ない。登山者の意識が昔とは大きく変わっていようとも、山は自分の意思と自分の足で登って下りてくるものであることに変わりはないはずだ。

その救助要請が安易か安易ではないかの判断は、たしかに第三者には難しい。だけど、実のところどうだったのか、きっと本人にはわかっているはずであ る。正当化する理由をいくら考え出そうと、自分にウソはつけない。もちろん、自分でも判断を下しかねるグレーゾーンのケースだってあるだろうが、みんなが 内なる声に耳を塞ごうとしなければ、増え続ける遭難事故に少しは歯止めをかけられるのではないだろうか。

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